僕として僕は行く。

旧・躁転航路

言語のメディア

こんなことをここで言うのもおかしな話なのかもしれないけど、インターネットって言語のコミュニケーションのプラットフォームとしてはあんまり向いてない気がする。特にSNSってひどい感じがあって、なんかイライラする文章がよくわからない方向からいきなり飛んできたりして精神が害されるリスクが高い。特に面白い風味のなんか風刺とか酷いの多くて本当に厳しい気持ちになる。批判精神があって僕は面白いことを言ったり面白い記事をシェアできますよ風の人間が一番厳しい感じになってて目も当てられない惨状になってる。僕の家の前は通学路ではしゃいでる小学生がいっぱいいて彼らも面白い風味のこと言って喜んでるけどぜんぜん面白くなくて、でもインターネットでは大人が同じことをしているのでより悲惨な気持ちになる。

まあじゃあインターネットじゃなくて他のメディアならいいのかというとそういうわけではなくて、新聞とかたまに読んでもすごいイライラする。それはどの新聞を読んでもそうで、大手各社が作りたい感じの公共性みたいなの全部ゴミっぽくて独善的でイライラする。

そもそも言語を用いるメディアは根本的に僕をイライラさせるものなのだと思う。だから、なんか音とか、ポニョっていう音がするとか、ポヒャっていう音がするとか、そういうメディアがあれば、意味性が一切無い以外は完璧で、楽しいっていう気持ちだけ伝わるから最高だと思う。新聞とか、文字のせるのやめて、五線譜と音符と、あとなんか押したら音が出るボタンだけのってたりしたら、おっ今朝の朝日新聞の社説のメロディはいいなとか、今日のジャスダックはポヨンっていう感じなんだなって伝わって楽しいと思うし、イライラしなくて済むと思う。

新聞がそういう感じだと、なんか大学の先生とかになんでお前は新聞読んでないんだって怒られることも減るから良い、今どういう感じかというと、新聞よんでもイライラするし、読まないでいるとオッさんとかが突然新聞ぐらいよめって怒ってきてイライラするから最悪で、今のところ新聞には最悪な気持ちにしかされていない。やはり楽しくなるような抜本的な改革が必要だと思います。