僕として僕は行く。

旧・躁転航路

今しか無いとか言って

 生活が安定することで、やりたいことが沢山出てきていて、しかしながらそれらに翻弄されるような状況が相変わらず続いている。やりたいことの中には、本当にさまざま種類のものがあって、単に自分がやりたいだけだったり、まったくお金にならなかったりするものから、一生を賭して取り組むべきものだったり、社会的意義があると自分が信じているものだったりする。

 でも、僕はこれらの内にはまったく優劣はなく、それゆえ優先順位もつけがたいと信じている。そして、欲張りだから、全部やりたいし、極端だから、何か選んで諦めるぐらいなら、いっそ何もやりたくないとすら思ったりもする。

 くわえて、この状況の前提にあるのが安定した生活リズムなのだけれど、実はこれが曲者で、なかなかの維持コストがかかる。できればコストを意識せずに維持できるようなシステムが組めたらいいが、それは全くもって簡単なことではない。けれども、面倒だからと言って手ぬかりし続けていると、荒廃したものが充満しはじめてきて、結局はモチベーションの根源のようなところを侵していくわけだから、おざなりにするわけにもいかなかったりする。

 要するに、どうあったって僕はいつでも雁字搦めなのだということなのだろうか。なぜ僕はいつでもこうなのだろうか。焦りだけが募っていく。どうしようどうしようと狼狽しているあいだに人並みに年だけを取り続けていく。どうしたらいいのか。ずっと試行錯誤してるけど、うまくできるようには、いつまで経ってもなれない。