僕として僕は行く。

旧・躁転航路

エヴァンゲリオンの「ATフィールド」なる概念について

 ということでトトロの放送枠内で新劇Qの新CMがあったみたいです。僕自体はこの時間帯外でフラフラしていたので(事前に上のTweet見てたのに!)、のちほどYoutubeで確認しました。これを見て「庵野終わったな」とか言っている人もちらほらいるみたいですけど、庵野秀明ほどの人間が何も考えずにこれを出してきたとは考えられません。色んな「邪推」が多分可能です。

 で、今回はそれに関して邪推するお話、というわけではないんです(すみません)。このスポットCMを見てたら何だか前作:破を見たくなっちゃって、途中でゴッドタン見たり、気になるところはとめて巻き戻して見たりしたらこんな時間になってたっていうわけ。テスト勉強せなあかんのに。で、剰えそれに関してブログまで書こうとすらしているっていうね。絶対4時までに終わらせる。うん。

 さて、そろそろ本題「ATフィールド」について見ていきたいと思います。ATフィールド、劇中でカヲルくんが言っている通り「心の壁」のメタファーです。それはきっと、あらゆるATフィールドが融解した時に人類は一つの「樹」と化すという、(少なくとも旧劇までに描写されていた)人類補完計画の実行プロセスを見ても明らかです。ATフィールドは、正しくはAbsolute Terror Fieldであり、これを直訳するならば絶対恐怖領域といった所でしょうか。この領域を超えて侵入してくればある種の絶対恐怖なんだけれど(自我が融解してしまうので)、にも関わらず人はやはりそれを求めてしまう(他者との融解を求める)。自立した自我っていうのはこんな風にして相手との融解を求めない恋愛が出来ないといけないんだけど、特に思春期の人間にはそれは難しい。だからこそ主人公たちは14歳だし、そしてその14歳の依存心を抱き続け、自我と他者が鮮明に分かれゆくその狭間の年令におけるイニシエーション=自我の独立に失敗した「ダメな」大人たちの物がたりがエヴァンゲリオンなわけです。 

 で、本来的にはこういう文芸批評みたいなのって僕は大嫌いなんです。邪推でしかないから。ただエヴァに限ってそれをやるというのは何故かというと、それは作り手のサイドが、明らかにそのようにして読まれることを意図した作品であって、精神分析、フロイトよりも特にラカン的な精神分析のモチーフがそこかしこに明示的に現れるからであって、という言い訳もここでしておきたいと思います。

 で、エヴァンゲリオンの一つのキータームであるこの「ATフィールド」なんですけれど、その発話形態とか、用いられ方、用法に関して一つ気になった点があって今回わざわざクドクドと書いているんです。その点が何かっつうと、ATフィールドっていうのはある程度意図してコントロール出来るものだとされていて(実際に我々も「心の壁」はある程度薄めたり強めたりはできますよね)、そのATフィールドを展開する際にパイロットたちは「ATフィールド全開!!」と叫ぶわけなんですけど。

 その、「心の壁を全開にする」というのはどういうことなのか。これ、解釈次第でまるで逆方向の理解が二通り可能だと思うんです。まず第一に、絶対恐怖領域を完全に拡大するという解釈。要するに拒絶の意志を極限まで強めるという意味ですね。そして第二に、「窓を開け放つ」ような意味での「全開」、つまり拒絶ではなく歓待の表現、あるいは相手の心を開く、絶対恐怖領域の一切を開け放ちますよという発話でもある、という可能性はあるんです。ただ、劇中の描写を見る限り、ATフィールド全開!との文言の後に壁が幾重にも現れるので、直接的には前者の解釈が正しいと思います。ATフィールドを越えて敵の攻撃を受けた場合、精神汚染が危惧される描写も度々ありますから、やはり「拒絶」の意味合いが強いのかと考えられます。

 ただ、ここで気になるのは、相手の拒絶意思と自分の拒絶意志が戦う、というのは原則的にはあり得ないということです。拒絶意志同士が向かい合う関係性、それはもはや決別であり、絶対他者として離別すら意味しているのではないでしょうか。そう考えると、やはり一方からの攻撃は相手に迫る意志、そしてそれを受ける方には拒絶する意志があり、それらの衝突でエネルギー量の高い方が相手を打ち負かす、という関係性で理解すべきだと思います。ATフィールドは、何も防御の際にだけ現れるのではなく、相手のATフィールドに干渉する際にも現れますし、わざとそのように活用している描写もあります。つまり、他者へと向かう意思性の表現でもあるのです。そう考えるとATフィールドは単純な拒絶意思としての、前述の二分法で言う前者の理解だけでなく、開放を迫る意思としての、後者の理解もまた真であることが読み取れると思います。

 このように、「絶対恐怖領域」=ATフィールドは、相手に迫られることを拒絶するがゆえの恐怖の緩衝材である一方で、相手に拒絶されることを恐れる指向性をも持ち合わせた両義的な「壁」なのではないかと結論づけたいと思います。