僕として僕は行く。

旧・躁転航路

『心のスピードに振り回されっぱなしだよ』

 今日は本当に色んなことがあった。その色んなことを書くのがこのスペースなんだろうけど、そういう風に開示してしまうには、僕にとってはあまりにナイーブな問題と直面することにもなったし、そのせいでとても心が苦しくなったりもした。

 それでも、それらの一切の原因の行為、働きかけは、僕がそうしようと決め込んでやったというよりは、自然に、何か導かれるままに行った行為で、そして人との繋がりを求める種類の行為だったから、この辛さは、僕が生きる意志を自然と見せたがゆえの自然な代償なのだと思うと、何か救われるような気がしてきた。

 この世界は本当に碌でもないと思う。僕らはどこにいったって人と関わることを求められているけれど、そんな風に関わる他者っていうのは絶対に安易に計算できるものじゃないし、それゆえに、こんな風に辛い思いをすることがたくさんある。ただ、それでも僕は計算できない人こそを愛し、そして関わろうとするところがあって、そして僕が、積極的に、そして自然に、意図を持たず、ただ関係性のためだけに、彼らと関わろうとしたという事実の、この肯定的な解釈だけは、決して簡単に放棄してはならないものだと思う。

 心。この計算できないもの。減速も加速も、ハンドルを握ったものに任しやしない。それでも、この心が、関わることそれ自体を目的にそのスピードを高めていくことが出来るのならば、僕はまだまだやれる。大丈夫だ。スピードが出すぎて曲がり切れなかったって、死ななかったらそれで大丈夫なんだ。全身傷だらけになりながら、少しずつこなせるようになればそれでいい。幼い子どもが、自転車に乗る練習を始めた頃のように。