僕として僕は行く。

旧・躁転航路

誰が言ったかって結構重要な問題だった

 特に何も上手く行ってない状態で、偉そうなこと言うと、ただの空回りしてる奴にしか見えなくて、そうやって人は多分何も言わなくなったり、もしくは自分の属性が全く見えず、上手く行ってないとかそういうのが伝わらないところで、偉そうなことを言うようになるんだな、と思った。誰が言ったか、じゃなくて、何を言ったか、とかよく言うけれど、実際のところそういうのってあんまり関係無いのが今の社会だと思うし、実際立場によって言っていいこととダメなことがくっきり分かれてて、その辺の分別が無かったらめちゃくちゃ言われる社会だなと思う。それが正しいかどうかはおいといても、ある程度必要とされることだと思う。親に死ねと言われるのと液晶越しの他人に死ねと言われるのじゃ迫ってくるものが違うし、僕の親に分別があって、死ねとか唐突に言ってこないタイプの人種でよかった。