僕として僕は行く。

旧・躁転航路

2014年1-3月に聞いた新譜以外の音楽

 

の中でよかったのを備忘録的に。

  • Settle  Disclosure (2013)
    よかった。5月の来日たのしみ。

  • Hummingbird  Local Natives (2013)
    1枚目がインディポップ王道って感じでそこまで好きじゃなかったけど何か凄い大化けしてめっちゃ暗くなって全然別のバンドになってた。

  • Nothing Was the Same Drake (2013)
    ヒップホップのことよくわからないけどかっこいいと思う。

  • Wixiw Liars (2012)

    エクスペリメンタルロックみたいなのやってた人らがいきなり大化けした。クレイジーな感じ。踊れる。

  • 92982 William Basinski (2009)
    何も考えずに聞ける。

  • Lost Torrentmoller (2013)
    デンマークアンビエントっぽい人が歌モノ作ったら凄い良くなった。

  • Tigermilk Belle And Sebastian (1996)
    ベルセバとか名前よく聞くだけで大したことないだろと思ってたけどめっちゃ良くて号泣した。甘酸っぱい。オシャレな感じの昔すごい嫌いだったけど今ぜんぜん良いしそういう無駄な反骨精神とかやめて良いって言われてるのはバイアス抜きで一回聞いてみるほうがやっぱいい。

  • Pain Is Beauty Chelsea Wolfe (2013)
    Warpaintが好きなので関連あさってたら何かDarkwaveとかいう安直な名前のジャンル見つかってその中の1人ですごい良い。

  • R!M!X!S !!! (2013)
    既存のアルバムをリミックスしただけの奴あんまり好きじゃない場合多いけどこれは一つのアレとして完成されてる。
  • Join the Dots TOY (2013)
    サイケでシューゲでジャムな感じ。RadioheadのBlow Outを僕はイメージした。

 

2013年のが多い。去年豊作だったっぽくてちゃんとリアルタイムで新譜掘らないと色々機会損失してる。そう思って今年はなるべくよく新譜聞いてる。最近気付いたけど労働量の割にお金不足気味なの音源関連の支出のせいだと思う。

2014年1-3月発売の良かった音源

年終わりに一斉にやるとかなりワチャワチャしそうだったから、備忘録的に。

 

 

Spezmodia

Spezmodia

 


Mouse on Mars - Spezmodia - YouTube

相変わらずMOMって感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

Wonderland

Wonderland

 

スウェーデン出身のシンセ・ポップ・ミュージシャンの2枚目。楽しいです。 おもちゃ箱ひっくり返し系(?)の音使いではありますが、それにくわえてなんとも言えない躁っぽさがある。

 
CEO - Wonderland - YouTube

 

 

 

 

 

 

 

 

Blank Project

Blank Project

 

 女性ラッパー。音数をギリギリまで絞ってるけどすごく聴き込める。こういうアレンジ聞くと、色々考えさせられる。


Neneh Cherry, "Weightless"- YouTube

 

 

 

 

 

 

 

 

Sun Structures

Sun Structures

 

良いという他ない。イギリスのサイケバンドのデビュー・アルバム。でもただのサイケじゃないというか、シューゲイザーっぽい音もあるし、セッションっぽい感じもある。


Temples - Sun Structures (Ctrl in-situ session) - YouTube

 

 

 

 

 

 

 

 

Force Field

Force Field

 

僕はこういうのを「何か始まりそうな気がする」感じの音楽と勝手に呼んでる。 2008年のアルバム「Elephant Shell」以来に聞いてたら、すごく勢い出てきていて不思議だった。僕の今までの経験的には、バンドはアルバムを重ねるに連れて落ち着いていくけど、彼らはなんかどんどん勢いを増して来ていたようで、キラキラのパワーポップみたいになってた。


Argentina (Parts I, II, III) - YouTube

 

 

 

 

 

 

 

 

Supermodel

Supermodel

 

今のところ一番度肝を抜かれたのはコレ。何回も何回も聞いてる。思ってたよりすごいバンドだった、Foster The People。このアルバムすごく好きなんで、エントリ一個使って長々と書きたい。

 


Foster the People - Ask Yourself - YouTube

カオナシと承認

 

千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]

千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]

 

  いきなり「千と千尋の神隠し」見てた。バイトの帰り道、テーマソングの「いつも何度でも」を聞きたくなって、そういや「千と千尋の神隠し」も見たいなと思って見たとか、そういう感じ。あ、言うの遅くなったんですけど、これからネタバレがあります、というか、映画の内容をだいたい知ってる前提で話します。

 映画の内容自体は素晴らしくて、まあでも今さらぼくがどうこう言う必要もないというのはみなさんご存知のところだとは思います。高いエンターテイメント性と、沢山の隠喩による様々なメッセージ性が異様なレベルで両立している稀有な作品だというのは、別に「千と千尋」に限った話じゃないし、まあみなさんご存知のところです。

 

 ただ一点すごく気になる点があって、それがカオナシの件です。僕は、カオナシというキャラクターを、こういう存在だと思ってる。つまり、彼(彼女?)は、自我も居場所もなくて、モノのやりとりを通じてしか他者と交われない、虚しい存在。暗に、今の若者、みたいなことを言いたいのかなと。カオナシはそんな奴なんで、カネやモノになびかず公平無私な千尋に、ある意味で救われて、ある意味で憧れるようにもなるわけです。

 で、なんやかんやあって、カオナシは銭婆のところに留まることになる。なんで銭婆のところかっていうと、銭婆もまた公平無私で、彼に仕事を与えることで居場所を作ってやれるからなんだと思います。昨今巷間を賑わしているような言い方をすると、承認欲求ってやつなんですかね。まあそれを満たしてくれる銭婆のところにいると、自分もなんだか満たされた気分になる、カネやモノを渡さずともちゃんと居場所は作れるんだみたいな感じでハッピーになって、それ以降千尋に執着するのをやめます。

 というわけで、空虚ではあるけれど何かしらの満たされ無さを持て余す現代的な若者はこうやって居場所さえ見つかればハッピーに暮らせるのじゃないでしょうか、というのが、宮﨑駿さんなりの提言なんだと思います。そして、その描写だけが、すなわちカオナシという存在の落とし所がそういったある種の居場所論で片付けられるという発想だけが、「千と千尋の神隠し」という映画の、唯一にして最大の安易な点です。まあ放送が2001年ですから、あの頃はそれでよかったのかもしれない。とはいえ、たった10年やそこらで古びてしまうようなメッセージというのは、まるで宮﨑駿には似つかわしくないのもまた事実です。

 たとえばインターネットを見てみましょう。インターネット上では、しばしば、安易に承認欲求が満たされていく過程というのが公開されています。というのも、インターネットというものを使えば、非常に容易に、自分が「誰か」になることが叶うからです。ですが、はたしてそれで彼/彼女の魂は救われているのでしょうか? ある日ふと気がつくのではないのでしょうか。インターネットの中で「誰か」になれたって、いまここにいる自分は、けっして「誰か」なんかではなく、みすぼらしい「自分」以外の何物でもないということに。

 だから、承認欲求が「容易に」満たされたとしても、それはきっとくすぶり続けるだけなのです。確かにこれは、ニコニコ動画以降のインターネットで徐々に明らかになってきた事実なのかもしれません。ですから、これはニコニコ動画以降のインターネットに多かれ少なかれ触れてきた人にしかわからないことですし、まあこれを世代と言ってしまってもよいのかもしれません。

 そう考えた時に、この承認欲求を巡る無駄なレースは、僕ら以降の世代に特有の問題なのかもしれません。つまり、いかにして、この承認欲求というものを満たし/飼い慣らすか、という点を、我々以降の世代特有の問題と捉えるべきなのかもしれない、ということです。

 ちなみに、ぼくがこの問題の解だと考えているのは現状で二つあります。一つが、諦めるということです。つまりは、自分が何物でもないという厳然たる事実を粛々と受け止め、日々ささやかな幸せのために生きるということです。非常に個人的な倫理観の話になりますが、いま挙げたこのメソッドは、とても「良い」ものだと考えています。そして次に二つ目が、「安易ではない」方法で承認欲求を満たすことです。安易だからこそくすぶり続けてしまう。そうじゃなくて、本当に苦労して手に入れた承認ならば、大切に抱き続けることができるのではないか、と、そういう話です。ちなみに、「安易ではない」とはなにかというと、自分自身に「よく頑張ったな」と言える方法で相応のものを獲得するような方法です。

 まあどちらにせよ、どこで自分に満足するのかという問題です。そもそも、承認が問題になるような人格というのは、不遜で独りよがりなそれであるというのがありますから、そう考えたときに、結局のところ自分に最終的にゴーサインを出してやれるのは自分しかいなくなるだろうと、いまはそういう風に考えています。

 あ、もしくは、承認が問題になるのは、若いからです。年をとれば自然に丸くなるんだとおもいます。そう思わんとやっとれんことも多いです。

3月

 3月になった。しかも3月になっただけじゃなくて、3月11日にもなってた。時間があっという間に経過していく。2月の記憶、特に無い。2月2週目ぐらいから映画ばっか見ててさすがにまずい、映画、面白いけど、それで何かこうどうにかなるということはない、このペースで見ていくと、映画いっぱい見てるだけでただの堕落した人間になると思うので控えていきたい。そう考えると今度は一切見なくなった。丁度良さを身につけたい。

 記憶ないの、別に2月に限ったことじゃない。2011年3月ぐらいからだいたい記憶ない。それ以前とそれ以降ぐらいしかない。今日、というか昨日、震災関連のことをバイト先で取り扱ってそういうことを思った。色んな記憶がぼやっとしていて、時系列はいずれも確証がない。

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 最近、一般的に言われる「成功」とやらについて考えることが多い。そういうストーリーに迎合できる人のことが僕は羨ましくもあるし、妬ましくもある。成功、多分何かしらの結果であって、それ自体目標にするのは何か違う気がする。むちゃくちゃ狭き門での成功ならともかく、社会的成功みたいなのは、こんな時代でさえも、ある程度方法論としては確立されているように、周りを見ていても思う。でも、そんな風に失敗しないように失敗しないように生きていくのは僕は嫌だ。それならデカいヘマをやって地獄を見るほうがよっぽど興味はある。

 どうしてそうなったのかは知らない。ヤケになってるのかもしれない。そう考えると、生まれてからずっとヤケではある気がする。ヤケといえば、僕の目標であるところの、タフな人間というのは、人生のポイントポイントでヤケにならず、建設的な判断で、粘り強く戦っている。だけど、もし、その根底にあるのが、成功という概念への盲従であるならば、そんなタフさは僕には要らない。そんな風にして何かを手に入れたとしても、その足場がただの幻影だったと気付いたら、僕はすべて投げ出すだろう。何故なら、ヤケだからだ。

 上手く行っていた気がするもの、楽しかった気がするもの、それらが最近は急に真逆に走り出している。それでも失いたくないものに関しては、ヤケになってはいけない。僕の唯一の気持ちの切り替え方は、対象を完全に切り捨てることでしかなかった。でもそれじゃいけない。成功とやらのためではなくて、自分自身の満足のために、タフになる、粘り強く戦う必要がある。

タフ考

 タフ、タフになるということで2014年の目標をタフになるという方向、方向というのもおかしいけれどまあそういう按配でやらしてもらってます、やらしてもらってるというのもこれまた変で、何故かと言うとそもそもこれは僕の人生だから、何も謙譲することはなくて、まあタフになるということでやってきているわけだけれど、現状全然タフになっていなくて、タフになるというのは思いのほかむずかしい。そう、タフになるのはむずかしいのだと改めて思っています。

 なんでそういう風に思い至ったかというと、お気に入りの服が、着すぎてダルンダルンになってきているという事実からとうとう目を背けられなくなって精神がアァ…ァ……となりつつあるからです。あっこれダルンダルンのやつかな?と思ってたけどお気に入りだから無視してダルンダルンのまま着てたらとうとう完全にダルンダルンになってかなり悲しい、というのが現状で、ああでもこれ直せばどうにかなるんじゃないか、なんか仕立て屋とかに持って行ったらどうにかなるんじゃないかと思ってホウボウ当たってみたけど無理みたい。お気に入りのものを愛用しまくるとクオリティが下がっていくの納得できないし悔しい。

 一般的にいって使い込めばモノというのは良くなっていくはずである。好きなCDは聴きこめば聴きこむほどどんどん良さがわかっていくし、オーディオ機器は使い込めば使い込むほど自分の好きな音に染まっていく、特にそれなりに値段が張るようになればなるほど、その深化の度合いというか遊びがいっぱいあって然るべきである。にも関わらず衣服に関してはいっぱい着れば着るほど傷んでいくというのはどう考えてもおかしい。たとえばジーンズならいっぱい履けばいい感じに傷んでいく、しかしそれは衣服類のなかでは例外的なもので、基本的にはダルンダルンになってみっともない感じになっていく、グランジファッションならそれもアリかなと思うけどそれにはそれに適したデザインというものがあるし今僕が嘆き悲しんでいる対象というのはそういうのではなくむしろラフに着れるけどデザイン的にはシュッとしているという奇跡的なバランスでなりたってるものだけれど今となってはダルンダルンで全然シュッとしてる感が出てこずもうダメな感じがする。

 そもそも僕は何か/誰かにあまり愛着を持つ方ではない。持ち物は少ないほうがいいと思っているし友人も本当に信頼できる一握りの人間がいればそれでいいと思っている、むしろ新しい環境を広げるのがストレスでかったるいしダルい人間と出会いダルい気持ちになるリスクのほうを避けたいと常に考えている(タフになろうとしている人間の発言だとはまるで思えないが)。だからこそ、数少ない信頼できる環境というのには、もうちょっと一般的な度を越した愛着を示す感じになっていて、好きすぎてダルンダルンになってしまったあの服はある意味僕のその歪んだ愛の形が如実に反映されているものとも言うことができる。正直言うと僕はあの服を一生着続けたかった。いや、正確にはもうこれを着れる年ではないな、みたいな感じになるまでは着続けたかったのである。だから僕のほうから選んでそれを捨てることが出来るまで着続けるつもりでいた。にも関わらず、ヤツのほうから音を上げてしまった、ヤツは全くタフではない。だからこそある意味僕のほうがタフだったのであり、それはそれでまあタフであることが判明したため合目的的な経緯を辿ったのだとも言えるが何だろうこの寂寥感は。全く釈然としない。そもそもたかが衣服一枚に対してこんなにプリプリしてる人間がタフであるはずはない。タフな人間はダルンダルンになった衣服などその場で即座に引き裂いて1枚490円のタンクトップだけで生活しているはずである。

 だから僕もそんなタフガイを見習って一切の衣服を今すぐにまとめて火をつけて完全に燃やし尽くしてやり、明日のバイトには「全ての服を燃やしてしまったので今日は、というか服が手に入るまでは行けません」と言って休んでやろうかと思ったがそれはタフガイというよりは、ちょっとした、いやちょっとしたどころではない、割とヤバい奴だろうからさすがにそれはやめておくことにした。そもそも世の中のタフガイはそんな風にヤケを起こさない人間である場合が多い、そういったヤケの誘惑を断ち切って中庸の範囲内にちゃんと収められる人間をタフガイという場合が多い。しかしながら24年前に私は生を授かってからというもの常住坐臥Always日常茶飯事Whenever24/7ヤケクソで生きてきたのでそういう丁度良さみたいなのがよくわからない。何事もやり過ぎるかもしくはやらなさ過ぎで生きてきたので結果的にこういうことになっている。

 そういえば、と言ってあまり関係の無い話を始めるのだけれど、その前にまあ言っておくと、この文面からご理解いただけるように、私は先日から躁っぽいのである、だから思考があっちこっちに飛びつつも言語だけがガシャガシャ流れこんでくるような状況にいるわけで、それはさておき元々言おうとしたことに戻るが、そうだ自分の好きなプリントパーカーなりプリントトレーナーなりを作ればいいのだということを、これまた何の脈絡もなく急に今日のバイト中に思いついたので、そういう感じにしていきたい、自分でデザイン指定して元のデータだけ残しておいたら、ダルンダルンになってもまた発注すれば済むのであり、一石n鳥(nは任意の整数)になると思われる。ということでイラレとかフォトショでもイジれるようになろうと思う。タフとかどうでもよくて今はそれに興味があるのでそれをする。なんかよくわからないけど結論にまで辿りつけてよかった。

夜が迷子

 2月に入ってから一度も就寝に成功していない。そのため日中非常に眠く、色々とパフォーマンスが下がっている。どういう風に就寝に失敗するかというと、まず、21時〜22時ぐらいに異常な眠気に襲われて眠る。ここまでは、失敗から遠く隔たれた、至って上々の滑り出しで、むしろ早寝早起の模範のような就寝時間である。しかしながらここからが問題で、24時〜26時ぐらいになると必ず目が覚める。しかもめちゃくちゃスッキリ目覚めるので、そのあと再び眠れたりということは全くない。仕方なく、再び眠くなることを願って、電子書籍なんかを読んで過ごすことにしている。媒体にかぎらず、本を読んでいると眠くなる傾向が僕にはあるからだ。しかし、その努力も虚しく、気付けば朝になっているのが毎度である。そんな風にして過ごしているうちに、青空文庫にある芥川龍之介の文章をすべて読み終えているほどである。そうやって不本意ながら迎えた朝に、なぜか僕が弟を起こし、学校にやる。その頃には自分はもう寝ても無駄というか、寝たら日中の用事が出来ないので寝ない。結果的に非常に眠いまま外出し、ローパフォーマンスでこなして、帰宅し、晩ご飯を食べる。そうすると21時ぐらいになっていて眠くなってしまい…というのを繰り返すハメになる。最悪の睡眠体験を日夜繰り返していることになる。

 この過程で一番不可解なのは、22時に寝たら25時ぐらいにカッと目が覚める点だ。この失敗を何度か繰り返して気付いた。この時間帯の睡眠のことを、僕の脳が完全に昼寝だと思い込んでいる。あの微睡むような感覚、そして急にハッと目覚めるような感覚は、明らかに午睡のそれらと同じなのだ。だから、いやーよく寝ましたね!アフターファイブも頑張っていきましょう!!!!みたいな体裁で、良かれと思って起こしてくるのだと推測できる。ありがた迷惑というか、そもそも前提がおかしいので、ありがたみの欠片もない、ただの迷惑である。一般的な人間が22時寝たらそれは明日は早起きするぞの合図だ。間違っても昼寝ではない。なぜなら22時は昼ではないからだ。そもそも、奴の中でいつまでが昼でいつからが夜なのかが皆目検討がつかないし、おそらく奴自身も全く理解していない。とりあえず睡眠と言えば全てが昼寝だと決め込んで活動しているようですらある。そうすると奴の中には夜が見つからない。夜は明らかに今なのに奴だけが夜を見つけていない。奴が見つけていないとなると、たとえそこにあったとしても、夜は迷子のままだ。このまま夜が余所の子になってしまう前に、できるだけ早く連れ帰ってほしいと、ただ願うばかりである。

MP3プレイヤーについて

 2月です。覚え書きついでに少し書きます。ポータブルのMP3プレイヤーとして自分が愛用しているのはiPod Classicの160GBモデルなのですが、いまiTunesのライブラリが157GBでして、もう明らかに聞かないだろうなという曲の同期をやめてもそれでも147GBは持ち歩いているわけです。で、これぐらいカツカツになってくると、挙動が怪しいというか、同期が出来ない時がある。

Apple iPod classic 160GB ブラック MC297J/A

Apple iPod classic 160GB ブラック MC297J/A

 

 こうなると対策が必要になります。まず思いついたのは、インポートして1年なり2年なり経過したものは同期をやめて、新しく入れたものを優先的に聞けるような環境にしてしまうということ。まあでも、これは無しです。というのも、出先で急にあ、アレ聞きたいな等と思いついたときに聞けなくなるのは相当なストレスが予想されますので。もしくは、そうではなくて、そのせいで昔にインポートした曲をどんどん聞かなくなるという可能性もある。どっちかというとこちらのほうが嫌で、というのも最近、ずいぶん昔にインポートしたBeatlesを急に出先で聞きたくなって聞いているうちにハマったというのがありますので、こういう再発見の可能性を無くすのはちょっと。

 となると、より容量の大きなポータブルMP3プレイヤーか、もしくはiPod Classicの二台持ちとなります。根詰めた私は、こういう時に相談する場所として勝手に確保している、大阪は日本橋のeイヤホンに立ち寄りました。ここの店員さんはみんな親切ですしあとやたら詳しい。単にリスナーとしてよい音を追求しているような人から、音楽制作などに携わっているのだろうなという人もいて、色々聞ける。

 で、今日というか昨日そのeイヤホンの店員さんに教わったのは、iRiverというメーカーのAstell&Kernというポータブルプレイヤーです。これは、まず音質にすごい拘ったプレイヤーで、音がめちゃくちゃ良い。でもそれだけじゃなくて、僕としてはそっちに惹かれてるわけですが、microSDスロットが2枚分あって、容量が自由に継ぎ足せる。最上位モデルで、近日発売予定のAK240というモデルは、内蔵容量がまず240GBあって、でもって恐らくはまたmicroSDスロットが2枚分ある。今Amazonで確認した限り、microSDは最も容量の大きなもので128GBというものがある。だから、最高で496GB(240+128×2)持ち歩ける。ただこのAstell&Kern、ポータブルプレイヤー界のハイエンドポジションでして、値段がとにかく張る。いま言及しているAK240は、新品だとおそらく20万円を越えるだろうという予想が強い。

 まあでも、冷静に考えてそんなに高級で容量がデカいものを買う必要はない。エントリーモデルであるところのAK100でも内蔵が32GBで、microSD2枚で256GB追加すれば合計で288GBは入る。まあ、こういうのは色々と詰めすぎるのはよくないから、260GBぐらいが正常な挙動を保つ限界だろうとは思うけれど。でも、これ一個あれば、microSDの買い足しで、原理的には無限の容量の音楽が持ち歩ける。 まあでも、いま公式サイトを見てたら、Astell&Kernには32GBのmicroSDをぶち込んで下さいと書いてある。そう考えると、128GBのmicroSDを認識するかどうか見ないで買うのはちょっと危ない。

iriver Astell&Kern 192kHz/24bit対応Hi-Fiプレーヤー AK100 32GB ソリッドブラック AK100-32GB-BLK

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  あと、ハイエンドオーディオものだから、やはり値段が張る。とりあえずは貧乏人らしく(こう書くとすごい怒られそうだな)、iPod Classicの2台持ちで糊口をしのごうと思います。その昔、OrbやAudiogalaxyといったサービスが生きていた頃は良かった。確かに音質はかなり下がるけれど、PCさえつけておけば、iPhoneから全部ストリーミング出来たのに。と思って調べてたら、今は今で色々と代替方法が模索されているらしい。まあそういう話は、するとしたらまた今度します。