僕として僕は行く。

旧・躁転航路

なぜ、なぜ、なぜ

 なぜ普通にしているだけで何もかもこんなに嫌なのだろう、とずっと考えているけれど全く答えなど出てこない。わかることといえば、この「普通」の中に既に何らかの嫌悪感をもたらすものがいくつも含まれているということぐらいで、留年している上に単位がカツカツな(文字通り1単位も余裕はない)ことや、そのうえ就活にも失敗したこととか、今となってはもはや取り返しのつかないことなんかがその中には含まれていて、就活をやめて大学院に行ってから公務員になるというプランを持っていてもなお落伍者としての自覚が否応無く迫ってきて本当にどうしようもないという感覚がある。

 あと、初めて飲み始めたこの抗鬱剤ももはやあまり効力を発揮できておらず、辛うじて食欲は維持できているが、何事も億劫で、勉強していてもイマイチ頭が回っていない感覚が如実にある。あと、人間と連絡をとったり会話をしたりというのも死ぬほどだるくて、バイトの休憩時間に社員さんが気を使って色々と喋りかけてくれるのに対し心の中で黙れとナチュラルに呟いてしまうほどであり、それ以外にも継続的に連絡をとってきた友人からのメールを返さないまま数日経っていたりして、云々。季節柄、この夏と秋の谷間にあたる今のような時期というのは、精神に変調を来す人が多いというが、それが自分の場合は特に顕著なのだろう、それによって名実ともにうつ病になっているのだという自覚が否が応でも芽生える。

 先の震災の時に、世界中から「あなた方は一人じゃない」という旨のメッセージがたくさん被災地に送られるのを見て思ったのが「だからどうした」ということだったのだけれど、あのメッセージの狙いは今となっては何となくわかる。それは、僕がいま、「なぜ自分が、自分だけがうつ病にならなければならなかったのか」という問いを常に自分に持ち続けているからだ。僕が特殊だからではない、僕がたった一人の人間としてこの状況を甘受しているのではない、と信じたいのだ。弱っているときには、なぜ自分だけがこんな目に、と考えたくなるのが人の習性なのだろう。そして、事実として、それもまた一つの適応の形なのかもしれない。

 結局今日の日記もこれといった着地点が見つけられないまま終わろうとしている。明らかに思考の速度と深度にいつも以上の限界がある。どうすればいいのか、多分とうぶんどうにもならないのだが。