僕として僕は行く。

旧・躁転航路

考えて走れ

「テクニックがある選手を走れるようにするのと、走れる選手にテクニックをつけるのと、どちらが効率的か。一般的には前者の方が簡単に思われがちだが、走らない選手は本当に走らない。」

イビチャ・オシム

 

 この発言は、もちろん文脈で言うとサッカーに関する事柄なんだけど、実際のところもっと普遍的な話なようにも思う。人付き合いとか、生き方とか、そういうのをとっても、技術ばっかりあって、ただひたすらに泥臭く汗をかくという意識が欠乏していると、人間もダメになると思う。僕はだいたいこれまでの人生をテクニックだけでどうこうしてきたので、泥臭くやるということのやり方がいまいちわからないまま育って、ああこれじゃダメだと就活前ぐらいに思い、ひたすら走ろうと思って、で、だいたい半年ぐらい走り続けたところ、急にそんなことし始めたもんだから心が肉離れ起こしてるのが現状だと思う。それぐらい、走れるようになろうと思っても急に走れるようになるものではない。かといって、僕の人生段階は、もうテクニックだけでどうこう出来るほどレベルは低くないというのも判っている。

 僕は自分のテクニックだけで通用する世界で生きてきたからこういう具合になってしまったのだろうし、それでグッと世界を広げたら、スポーツで言うところのオーバートレーニング症候群みたいなのにかかってしまった。泥臭くやるにしても、どこをどう汗臭くやるのかっていうテクニック無しではやれないらしい。だからこそ、テクニックと走る意識っていうのは恐らく両方いるし、僕はバカだから、そのどっちかだけを極めようとしすぎるきらいがある。それはサッカー選手の両輪であるように、人間としても両輪であるから、どっちかが止まってしまうと片方の車輪だけ動いて同じところをグルグル周り続けるハメになる。それにずっと気付かず、グルグル周り倒したあと、あれ、なんで俺目回ってるんだろ、とか考えだしたので、本格的にバカだったらしい。僕は、本質的には器用な人間ではなかったし、それをすっかり忘れていたので、今後、走りだす時には、考えながら走れるようにならないといけないんだと思う。