僕として僕は行く。

旧・躁転航路

とうに魔法なんて

 昨日までは5月とは思えない程涼しく、どこか初冬のような感じがして、ああ、夏と秋を越えると今年も冬がやってくるのだと、早とちりもいい所の寂しさを覚えたりしていたのだけれど、それとは打って変わって、今日は暖かかったので、ちょっとコンビニに行くのにサンダルで行けるぐらいだった。

 サンダルを履いて歩く100メートルにも満たない距離の間に、すごく懐かしいことをふと思い出した。まだ僕の年齢が一桁だったぐらいの頃、もしかしたらみなさんもしたかもしれない、明日天気になあれ、と言って、履いている靴を飛ばして、普通に立てば晴れ、裏返ったら雨だとか、そういうことをやっていたなあ、って、思い出していた。明日天気になあれは、飛ばしやすい靴のほうが良い。ということで、僕は暖かくなると好んでサンダルを履いていたのだった。

 その時、急に、ああ、俺はこのまんまじゃ、取り返しがつかなくなるのだろうな、と感じた。だって、あの頃の僕は将来の事なんて考えなくてもよかった。本当は明日の天気なんかどうでもよくて、ただ友達と「あーした天気になーれ」と言って靴をとばす、その行為自体がただ楽しかったのだ。それに対して、今はなんだ、まあ今でも明日の天気とかはあんま気にしないけど、でも、これからの人生がどうなっていくかとか、そういう事を否が応でも考えてしまうところまで来てしまった。自分の一挙手一投足に将来に繋がるような意味性が求められているし、純粋に楽しめることは、実は純粋に楽しもうとしてわざわざ自分で用意するものにとってかわってしまっていた―それは本当に"純粋な"楽しみなのだろうか? ただあの頃は、そんな風に、楽しいことは自分で用意しなくてもいつでもそこら中にあって、ただ、今だけを見ていればよかった。NO FUTUREはまさにそこにあって、毎日は"今”が溢れかえっていた。

 魔法を信じ続けているかい?そう僕らに問いかけたミュージシャンがいたが、そんな問いが意味を持ってしまう僕らは、本当はとうに、魔法なんて解けてしまっていて、それは信じようとしなければ信じられないものとなってしまっているのだった。そして、何よりも僕がいま問われているのは、いや、もしかしたら彼もまたそう問いたかったのかもしれないのだが、それでもあなたは、魔法を信じ続けるのか、信じ続けなければならないのかと、その覚悟と、勇気を、持ちあわせているのかということなのだった。

 今日は全然吸っていないけれど、あんま吸いたい気分にもなってこないし、もしかしたらこのままやめれるのかも、と思って敢えて昼間には買わなかったタバコを改めて買いに行った帰り、まだ銀紙に包まれた中から一本だけ取り出して、そんなことを思ったのだった。