僕として僕は行く。

旧・躁転航路

やりたいこと

 やりたいこととか、できるようになりたいことがいっぱいある。

 たとえば、クラシックに関する体系だった知識を手に入れたい。ヒップホップもちゃんと聞きたい。ジャズもちゃんと聞きたい。DJできるようになりたい。もっと打ち込みうまくなりたい。特にサンプリングを使ってスクエアプッシャーみたいなことができるようになりたい。ジミ・ヘンドリクスを弾きこなせるようになりたい。音感をつけたい。聞いたものをすぐコピーできるようになりたい。もっと正確な音程で歌を歌えるようになりたい。空間を掌握するような歌声を手に入れたい。そういえばオペラもわかるようになりたい。

 本ももっと読みたい。三島由紀夫を全部読んで、原稿用紙に写したい。ニーチェを網羅するプロジェクトもちゃんとやり切りたい。文体とか比喩の苦手意識に振り回されすぎないでちゃんとドゥルーズを読みたい。フーコーも邦訳分ぐらいは全部読んでおきたい。アガンベンも全部読みたい。海外文学もせめて一般教養レベルぐらいのものはすべて網羅しておきたい。開発政策系の勉強も常に最前線のものをキャッチアップし続けるぐらいにはいたい。国民の幸福度ランキングの上位に来る国と日本の違いも知り尽くしたい。

 サッカーももっと観たい。戦術書を山ほど読み漁り、ヨーロッパ主要リーグの試合は基本的に目を通していて、アップトゥデートの戦術に慣れ親しんでおきたい。

 これでも、だいぶ取捨選択した。本当は、こないだ古墳に行ったみたいに、古墳に詳しくなりたいとか、ダーツを極めてみたいとか、経済学に詳しくなりたいとか、もっと色々な興味がある。それでも削って削って、最後に残ったのが上に羅列したようなことで、多分まだ漏れもあるし、まだこれから生きていく上できっとどんどん出てくる。別にこれらは、音楽を除いて、その後何かに繋げるためとか、それで飯を食うためとか、そういうわけではない。無論、そうなっていけばかなり好ましいけれど、ただ単純に、それをやっておきたい、できるようになっておきたい、ということでしかなくて、言ってみれば自己満足だとおもう。これらすべての欲求を満足させるには、きっと、あまりに時間が足りない。けれど、これだけやりたいことがある中で、傍目から見て無為にも見えるだろう時間の使い方を過ごしてきた自分の生き方を恥じて悔い入るつもりも全くない。それは、自分がしたいと思えることを、素直にこれがしたいですと言えるようになるまで、これだけ時間を要したということでしかないから。みんなそれぞれに成長のスピードがあるように、僕はこのスピードだったというだけで、それ自体に良いも悪いも満足も不満足もない。ただ、これだけは修めておきたいというものがこれほどある、という思いしか存在していない。