僕として僕は行く。

旧・躁転航路

8月のある日

 8月30日。朝から予定があるはずが、急に無くなる。悲しくなったので、このまま何もしないままだと、悲しみがずっと続いてつらいだろうから、意地でも何か達成感のあることをしないといけないと思い、部屋の掃除をする。汗だくになった。これを書き終えたらシャワーを浴びたい。そういえばもう14時だけど、お腹がすいていない。 今日はベッドの下を掃除した。ベッドの下には荷物がいっぱいあり面倒なこともあって、これまで全然掃除をしていなかったが、する価値があると思った。このベッドの下の荷物を部屋のどこかに移すことができたら、折りたたみベッドを導入することができる。折りたたみベッドになると、部屋の空間にもうちょっとゆとりが出るので、バンドのメンバーを家に上げることができる。彼らを家にあげて何がしたいかというと、作りかけのデモの録音が出来る。スタジオでとってもいいけど、ある程度正確なものを作りたいので、ラインで録音したい。

 部屋が少しずつ機能的になってきている。といっても、縦横無尽に広がっていた本や、捨てるに捨てられないものとかを、一箇所に集めて、積み上げて、普段使いのものの周りをすっきりさせているだけなのだけれど。自分が、自分の生活空間を、単純な居心地(僕は汚くても全然気にならない性分だ)よりも機能性を重視させることが人生においてあるとは思わなかった。といっても、性格がかわったわけではない。相変わらず部屋が汚くてもなんにも気にならない。ただ、その必要性が湧いてきたというだけだ。 ニーチェは、徳というものは、それ自体を目的とするべきものではなくて、むしろ生産的であろうとすると、必然的に、世の中でいう徳のようなものを身につけていくのだと言ったけれど、それに近い。音楽活動の生産性を上げていこうと思うと、PCとデスクと楽器周りはある程度すっきりしてるほうがやりやすい。

 本当に必要なものだけが身の回りにあれば、いまはそれでいい。そして、僕にとって、必要なものや人は、決して多くはない。僕にはそれほど体力がない。だから、今まで発散するがままにしてきたエントロピーを、整理していかないといけない。非常に限られている僕という資本の、選択と集中を行って、僕は僕にしか作れないものを残していきたい。