僕として僕は行く。

旧・躁転航路

フジロック行ってない

 今年のフジロックは主に金銭的な事情により行けませんでした。残念。この季節になると、「フェス野郎(笑)」みたいな人らが結構な数出てきてよくわからん中傷を加えている様子がインターネット上のそこかしこで見られます。実際、夏フェスのために1年間生きてるような人も結構いますし、まあ小馬鹿にしてやりたくなる気持ちもわからないではない。僕は、そういった風に、生きがいみたいなのを何かに依存するのはよくないなと普段思うのですが、正直なはなし、フジロックは生きる理由になりうると思いました。1回だけしか行ったことないくせに。でも滅多に人混みに行きたがらない僕が褒めてるんだからそこはちょっと信用して欲しいです。
 去年は何個かフェスに行きましたが、やっぱりフジロックの思い出は別格です。まず景色がすごいです。都市型フェスじゃ絶対にあり得ないような光景がずーーんと来ます。大自然をバックに、満点の夜空の元で聞く生のBjorkとか絶対に最高じゃないですか。最高以外思いつかない。僕が妄想でこんなに興奮するのは童貞スピリッツを最大限に昂ぶらせていた中学生の頃以来ない。あの頃はまだ見ぬセックスに対する飽くなき願望があった。今はすでに観た苗場での爆音に対する飽くなき願望がある。
 ただですね、フジロックというのは、誠に残念ながらどれだけ長く見積もっても、前夜祭とかも含めて、4日しかない。まあ、温泉とか楽しんで帰ってきても、1週間ぐらい。その1週間のためにですね、ながいながい1年を過ごすというのは、いまの僕にはまだ無理です。もちろんね、その1年も、嫌なことばっかりじゃない。新譜を熱心に掘って予習をしておいたり、ヘッドライナー予想して楽しんだりとか、そういう楽しみもある。まあけど、僕には、自分自身にかけられる期待がすべて打ち砕かれたときに初めて、フジロックに対する期待のためだけに一生を過ごすような人生は可能なのかもしれません。