僕として僕は行く。

旧・躁転航路

24歳

 気付けば今年も年をとっていたわけで、色々な方々にお祝いの言葉をいただいたりしつつ。大人に漠然と憧れていた頃はとても思いもよらなかったけど、色々出来ることの広がる二十歳までは年をとるのは楽しみだったりもしたけれども、正直なところそれ以降は年をとるというのが割と苦痛だったりもして。特に僕のように、目的地もわからないまま人よりも迂回している人生だと、同世代の人々が少しずつ社会的責任みたいなのを負うようになっていく中で、僕だけは未だに扶養されていて、なんだかなにやってんだか・・・。
 だ、なんてネガティブなことばかりが頭をよぎるのですが、しかしながら前述のとおり沢山の方々からお祝いの言葉をいただいて、両親にいたっては決して余裕のあるわけではない財布の紐を緩めてお寿司を食べさせてくれたり、他にもプレゼントをしてくれる方もいらっしゃって。で、僕は思うのです、なんだってみんなこんなによくしてくれるのだ、たかが誕生日だぞ、と。しかしながら、こんなにも色々な人に、ただ単純に23歳の1年間も無事に生還して24歳の1年間を迎えるだけという状況を祝っていただけるのは、本当は本当に幸福な状況なのではないか。そう思うと、悪くない人生を送っているのかもしれないと、少なくとも今は、そう思えるような気がします。本当にありがとうございます。25歳の誕生日は、もう少し胸を張って、みんなのおかげでここまで来れました、そして今からここに行きますと、はっきり言える状況になっていたいと思います。