僕として僕は行く。

旧・躁転航路

ステージA

 トイレに座ると、肛門に鋭い痛みが走る。自分自身の肛門の形状については詳しくないけれど、これまで他人のそれを観察した限りでは楕円に近い形をしているものだと思うが、この痛みはそんな円を縦に引き裂くような痛みがある。自分の身体の中にある丸みがこうやって直線的に切り取られる感覚は悪いものではない。この痛みはわかりやすく、僕が覚えたばかりの愉悦の、甘美なる代償だ。

 自分が異性ではなく同性の裸に興味があることに気付いたのは11歳の時だった。水泳の授業の前の着替えの時間、僕は今まで覚えたことのない熱を帯びた何かが股間を脹らませるのを統御できずにいた。幸い、シャワーを浴びたころには寒さでどうにか熱は失われたが、それでも心の中にある、新たに見つけたこの熱量は変わることなく、そして授業の終わりにやってくる時間に思いを馳せそうになると、いてもたってもいられないような気持ちになった。

 この熱を一人で発散する方法を覚えたのは14才の頃だったから、それまで僕はこの熱量を何かに転換するしかないと考えていたのだけれど、何をやってもその熱量を消費し尽くすことはやはり不可能だった。まるでお腹が空いて仕方がない時には、ごはんを食べるより他無いように、この熱量を解き放つには、やはり直接的に触れる以外の方法は無意味だった。あれを覚えた日には、これまで行き場のなかった熱量たちに申し訳がなかったと感じた。今まで我慢させてごめんね。そう一人でに呟いた。それは、痛いぐらいの熱量をもって僕に訴えかけ続けていたのだ。「早くここから出してくれ」と。

 みんながそうであるように、確かに女性の裸も悪いものではなかったが、それよりも僕は、僕と同じように行き場のない熱量を股間に隠している性別のほうに深い興味があった。もし可能であれば、僕の力で、彼の膨らみを楽にしてあげることができたら・・・。そう考えると、なぜか自然に僕のほうにも熱量がこもってくるようになった。そうした場面を想像することで、僕は覚えたばかりの愉悦の回数を重ねるようになっていった。

 そして、僕は18才になり、同じような思いを抱く人と出会った。彼は僕より“博識”だったから、本当に色々なことを教わったことになる。何よりも大きなものとしては、「心地よさは痛みを伴う」という大いなる逆説についてだ。もしかすると、痛みが大きければ大きいほど、心地よさも増すのかもしれない。便座に座り、力めば力むほど、彼が僕に刻みつけた“しるし“が存在を主張してくる。そして僕は思うのだ、ああ、こんなにも彼を愛している。この痛みと共にずっとありたい。苦痛が快楽を呼び、快楽が苦痛を呼ぶこの歓びを、僕と同じ性別の多くの人々は知らないのだ。僕は、あまりに幸福だ。