僕として僕は行く。

旧・躁転航路

ケーキを巡る争い

 抹茶ケーキが食べたい。だけれど、頭がおかしいため、基本的に無駄な食事をしてはならないと考えているので、まず食べてもよいかどうかで随分と倫理的な葛藤をするハメになる。だがしかし、今日に関してはそれは意外と簡単にクリア出来た。というのも、ケーキを食べなければ、ケーキを食べたいという気持ちの代償行為としてアイスコーヒーをぐんぐん飲んでしまうため、想定より早い段階でアイスコーヒーが尽きてしまうことになるからだ。僕は晩ご飯の時間になるまでここで勉強することに決めているのであり、その途上でこのアイスコーヒーを飲み尽くしてしまうことは死活問題である。万が一飲み尽くしてしまったならば、500円もかけてもう一杯注文させられるハメになるか、もしくは何時間も水だけでダラダラと時間を過ごすことになるゴミ、あるいは水を吸うだけの目的で座席を占有するアメンボ以下の存在となる(なぜならアメンボは喫茶店の座席を占有しない)。僕はアメンボ以下の存在ではなく、れっきとした人類、ホモサピエンスなのであって、ケーキを頼まないでその代償行為としてアイスコーヒーを吸い尽くした挙句水まで吸い尽くすアメンボ以下のゴミとならないためにも、やはりケーキを頼むことは喫緊の課題であると捉えても差し支えない。

 そこで生じるのがこの抹茶ケーキ問題である。社会は執拗に、幾重にも僕に抹茶ケーキを頼ませないよう沢山の悪意を仕掛けてくる。まず第一に、今日は抹茶ケーキが食べたくなるとは思わなかったので緑色のTシャツを着させられている。緑色のシャツの人間が緑色のものを食べるのはおかしな話であり、それだけで恥ずかしい思いをさせられるリスクを無意識に抱えさせられているのだ。考えてもみて欲しい。肌色の人間が肌色のものを食べるか?社会は隙あらば僕を貶めようと必死なのであり、そのためであればどんな手段も厭わないのだが、今日は緑色のシャツを着て緑色の食べ物を食べさせようとしてきたのである。幸いにも、今回はこうして辛うじてのタイミングで恥をかかされずに済みはしたけれど、でももしかすると今日はここに来るまでに実は沢山の恥を気づいてないままかかされているのかもしれない、と思うと本当に油断のやらない奴らで、どうしてそうやってあなた方は僕を辱めるのか。そのために、僕はもしかすると二番目に食べたいという程度のニューヨークチーズケーキを食べさせられることになるかもしれないと思うとゾッとさせられるし、写真を見ていると段々とこっちも悪くないかなとか思わされるようにすらなってきた。まさか、そうやって俺の欲求までコントロールしようとしてくるとは、さすがにそれは越権行為ではないか、俺は俺の自由を生きる権力のがある、と思いつつも、段々と抗えないレベルでニューヨークチーズケーキを注文しようという気持ちになってきて、むしろ抹茶ケーキなんて誰が食べるんだ、この抹茶ケーキにはこんなにも生クリームがのっていて胃もたれ確実じゃないか、その胃もたれを契機に拒食症を発症、吐きダコを両の手に作るハメになり、最終的に好きな女の子に「あなたといるとあたしが太って見えるから、さようなら」とか言われる恐れまであるのだけれど、いま特に好きな子がいないから助かっているがそのせいで俺はいつまでも好きな人を作れない。まったく、最初に僕を抹茶ケーキが食べたい気持ちにさせたのはどこのどいつだ、と腹立たしい思いもしていたが、よく考えればなるほど、社会はこんな風に、俺を辱めるにあたってもいくつか方法論の違いに基づいた派閥があるらしく、今回は抹茶ケーキを食べさせるサイドとチーズケーキを食べさせるサイドとに分かれて今日も政争に明け暮れているようだ。しかし、考えてみればこれは僕にとって好都合ではないか。彼らが大同団結し一枚岩となれば、僕は男娼に売り飛ばされてくっさいくっさいマダムとのスカトロプレイに演じさせられたり、ロシアの変態富豪おっさんのところに売り飛ばされて火のついたウォッカで炙られながらオナニーさせられたりするような最低最悪の状況に貶めるのは容易であるはずなのに、彼らが政争に明け暮れているおかげで今のところ小さな争いに収まっているから、僕はそのうち両派閥の間をうまく行ったり来たりしながら争わせ続けておけばいいということが判明し、ほっと一息つくことができる。

 ということで僕は今回は紆余曲折を経てニューヨークチーズケーキを食べる腹をくくった。次にケーキを食べる必要が生じた際には別のケーキを頼むことで権力の集中を防ぐことが出来るということが判明したからだ。さっそく店員を探す・・・と、今度はなんと見つからない。彼らは常にせわしなく動き回ることで僕に的を絞らせない動きをしてくる。まるで駆け引きのうまいフォワードのようだ。EURO2012のイタリア代表・ディナターレを彷彿とさせる動き。僕はそれに相対するスペイン代表のピケだ。試合をコンパクトに保つためにもラインを上げたいのもやまやまだけれど、それでは裏を取られてしまう。無言の駆け引きが続く。こうなればファール覚悟で止めにいくしかないか・・・。にしても、全てのウェイトレスにディナターレの生き霊を憑依させるとは、本当に彼らは手段は選ばないらしい。僕がピケの生き霊を憑依させられなかったら一体どうなっていただろう。考えればだけで身の毛がよだつ。

 と、ここまで書いてもうケーキとかどうでもよくなっている自分に気づいた。もしかすると・・・はっ、正解はこれだったのか。本当に危なかった。もうすぐでケーキとかいう甘いだけの塊を食べさせられるところであった。ケーキを食べるということを規定事実とし、何を食べさせるかということに意識を集中させることで、そもそも食べる必要があるかという重大な問いを見逃させてきやがった。やはり、何事も熟慮である。熟慮があったからこそ奴らの勢力争いにも巻き込まれずに済んだのだ。そう、熟慮だけが常に僕の味方だ。傍から見て喫茶店で黙々とこんな内容をひたすら打ち込んでいる自分は確かに気持ち悪いのかもしれないが、しかし同時にこれは僕が生き残るために必要不可欠な行為だということを皆さんにもわかっていただけただろう。にしても、今回は本当に危なかった、熟慮という強い味方だけが僕に救済の手を差し伸べてくれた。本当に、彼がいてくれてよかった、と思いつつ、最終的に水を汲みに来た店員にはちみつロールを頼んだ。