僕として僕は行く。

旧・躁転航路

ジュン…

ハンバーガーを食べるべきなのかどうなのか悩まされている。昨日、友達に「我慢しすぎなんじゃない?」と言われて確かにその通りである、と思ったのだけれど、でも一方で僕はそうやって我慢してないと何もかもの欲求が暴走してそのうち欲求に殺される、という具合なので自制してないとまずいしダメになるのだけれど、でも一方でこのハンバーガーを食べたいという欲求のせいで読書するためにこの喫茶店に訪れているのにあまり集中できていないし食べてしまうべきであるという主張にも一片の説得力がありなんとも言えない。ということを考えながらも僕は同時に実はさっきから排便も我慢していて、でも我慢しきれずに実はトイレに行ってきたところであり、しかも読みかけの文庫本を持ったまま排便していたわけで、出先の喫茶店ですら小説をもってトイレに篭る自堕落なニンゲンであるというのを店員に悟られまいと座席からトイレまでの往復の間は必死にこの小さな文庫本を隠していたわけだけれど、よく考えたらここでそれを書いてしまっては必死に隠した意味もないし俺は出先のトイレにすら小説を持って入るぐらい我慢の出来ない自堕落なニンゲンなのだということが知れ渡ってしまい辛い。どこで何を披瀝しても僕の自堕落さが出てしまい辛いのである。でも僕が自堕落なのは多分ある程度どうしようもないことなので、むしろそれを隙あらばあざ笑おうとしてくるあなた方が悪いのであって僕は悪くない。でもよく考えると、そんな風に何かと僕をあざ笑おうとしてくるあなた方の傾向もそういう風に生まれついてしまった以上、責めたてても仕方がないことである。そう考えると、まあお互いそんな風に生まれついてしまったのはどうしようもないことなんだから、どうにかお互い少しずつ譲歩して、お互いちょうど生きやすいバランスを見つけませんか、と僕は言いたい。だから、僕がトイレに文庫本を持ち込んだのを先に笑ったのはあなた方なんだから、次の僕のはずかしい行為は笑わないで欲しいし、さっき座席にこぼしたタバコの灰のことは見なかったことにすべきだと思う。それがお互い譲り合うということだし、我々にはそういった譲り合いが足りない。僕らは助け合って生きる生き物であるはずだ。それなのに僕らはあまりに不寛容になりすぎている。寛容になろう。そう、寛容、寛容になるべきである。だから、最終的な着地点を見つけられなかったこの文章についてもあなた方は寛容になるべきで、いいじゃんオチなんてちゃんと付けなくても。関西人は何もかもにオチをつけないと気が済まないのでタチが悪い。オチがなくて悪いか。俺の人生は谷あり山ありでその都度オチなんてつけてたらどんだけ爆笑ストーリーになっちまうかわからないだろ。そんなに俺の人生を笑いたいのか君たちは。今度という今度は本当に呆れました。そんなに僕を笑いたいだなんて。酷くないですか。いい加減許し難いです。あと、こぼしてしまったタバコの灰はいまちゃんと片付けましたし、もう何も笑わせはしない。俺は誇り高き生き物なのだ。笑われることなど一切ない。だから、これからは誇り高きライオンの日記をあなた方は読んでいくことになるだろうし、その誇り高さにあなた方はジュン…となるはずだ。間違いない。だから乞うご期待という具合である。それでは、勉強します。