僕として僕は行く。

旧・躁転航路

Crazy for Crazy

 最近勉強が楽しくて空き時間はすべて勉強していたいぐらい、もりもりもりもり勉強していて、ああやっぱ俺政治学とか政治思想とか法哲学が超好きなんだなあみたいな感じがある。僕はだいたい一年ぐらいほぼ勉強していなくて、本を読むのもだるいというかそもそも勉強という響き、教科書というものにすら拒否反応を示すレベルで本当にあの頃は勉強というもの一般が恐ろしかったし、楽しんで勉強している人間とか病気だと思ってた。まあそれには色々原因があるのだけれど、それはおいといて。んでも、いま凄く勉強が楽しくて、俗っぽい表現だけど仲直りセックス効果みたいなそういう感じのアレみたいな、離れて分かったお前の良さみたいなのすごく感じている。やっぱお前じゃなきゃだめだ、自分勝手なのは百も承知だが、俺とまた一緒にいてくれ。みたいな、まあそんな感じ。

 でも、ふと、ああ俺こんなに勉強していったい何になるというんだろうみたいなのが湧いた。たとえば受験勉強なら大学受験というゴールがある。そう考えると、一応、いま大学院というものを積極的な選択肢にも入っているので、それに向けてモチベーションが高まっているというのもあるかもしれない。入試に際してある程度自分の納得のいく学力をもって合格してしまうと、入ってからもそれほど努力せずに済むみたいな経験則も効いているのかもしれない。あと、長期休みの前なので、この休みの間に俺は生まれ変わるみたいなのも多少はあるかも。とにかく、気が狂ったように勉強して、その残滓としての俺がいったいどうなるのかとか今は興味がない。今はとにかく気が狂うことが楽しいという感じ。クレイジーになることは、それ自体が目的になった時、一番クレイジーになれる気がする。クレイジーになるためにクレイジーになる、そのトートロジーが一番強いんじゃないかな、と、終電を逃して寄り付いた友人の家でまで、試験期間中とはいえガリガリ勉強してる自分に対して思った。