僕として僕は行く。

旧・躁転航路

俺の執念

 終電の1本前の電車から更新している。こういうときは出先で書きだめをさくっと公開するようにしていたのだが、あいにく今回に限ってそれが無く、完全に忘れていたので危なかった。というか、現状まだ危ない。まさに執念でこのブログを書いている。電車内ということで、得意のBluetoothキーボードを使うことも出来ない。

 終電近く電車には、いつもいろんな人間模様があって、この沿線に住む人々の多様性というものをささやかに伝えてくれているように思う。今日でさえ、対面に座ったのは熟年女性同性愛者カップルのようで、手を絡ませ合いながら、親密に語り合いっている。その逆端には飲みすぎた青年が、周囲の人間にティッシュとビニール袋を懇願し、首尾よく獲得した。僕を含む周囲の人間は、彼の「不足の事態」に、せめて耳だけは参加させまいとイヤフォンを忙しく用意する。彼の隣には、これまた好都合にも、聖母のような労わりを見せる淑女がいて彼を介抱してあげている。僕もかなり酒には弱いのだけど、今日は少し飲んだしまったから、万一もらいゲロでもしたらと怖くなっても来ると、ますます指先は饒舌になる。このペースに乗って、僕ももっと飲めたら楽しいのだろうけど、という話をしたいのだけれども、それにはあと7分という時間はあまりにも短い。

 時間というのは酷なものだけれど、それでも執念があればその酷さにもなんとか太刀打ちすることは出来る。試験前には余計にそういう風に思わされることも多いのだが、でも一方で毎回締め切りギリギリまでエンジンがかからない燃費の悪さについても毎度毎度バカらしくなってもくる。出来れば、もっと普通にやり遂げたいものなのだが、それは往々にしてとても困難なことだ。だからこそ、中村一義の、彼のデビューアルバムの実質最後の曲の歌い出しである「ああ、全てが人並みに上手く行きますように」はあんなにも切実な響きを持ったのだろうな、と思う23時58分だった。