僕として僕は行く。

旧・躁転航路

装いだけ丁寧な日記を書きました

 最近、「出来るだけだらける」をモットーに生きている私でも忙しくせかせか動き回ったり家で勉強させられていたりと、なかなか自分のやりたいことが十分に確保できず、フラストレーションのたまる毎日を送っております。でもその一方で、忙しいなりにスケジュールをつけて、人と会ったり話をする機会をちょこちょこ作れてるのは、僕の中ではなかなかの前進ではないかと思います。

 人とスケジュールを合わせて共同の何か(まあ会ってお茶したりとか、なんでもいいけど)をするのは、なかなかそれはそれで大変なことで、そうなってくると直前になってスケジュール調整がうまくいってなかったり、予想外のことに巻き込まれてうわーってなったりして、まあ割合イライラさせられてしまうのですが、そこでブチ切れてもう全部辞めだ!!!!!寝させろ!!!!!!!!!!ってならなくなったのは、我ながら偉いと思います。進歩の度合いが、なんか幼稚園児レベルから小学生に上がれたぐらいのものかもしれませんが。しかしながら、事実として、僕の対人意識とかいうのはそのレベルでとどまり続けていたのですし、皆さんも幼稚園児の頃に小学生の意識レベルに上げるのは大変だったと思うので、それを思い浮かべて欲しいです。そういえば、よく考えたら僕はそれぐらいの頃のほうが明らかに人付き合いも上手かったし、友だちも多かったと思う。小学校3年生ぐらいの頃、母親が僕の紹介カードを書いて担任に提出するっていうのがあったけど、そこに確か「社交性があります」とか書いてあって、社交性ってなんだ?とか思った記憶があるので。大体の人間の発達段階と、真逆を行ってきたように思います。で、徹底的に幼児帰りしたあと、もっかい普通の発達段階を辿り始める。まだるっこしいわ!!!!!!!!!

 あと、今日のブログがなんで丁寧語かっていうと、直前までレポートを丁寧語で書いていたせいです。ゆる~い先生なので、たぶん丁寧語で字数稼いでいたとしても、そこまで目くじらを立てたりはしないでしょう。私はそう信じています。信じることから全てが始まります。信仰だけが人間を救うのです。「すくう」で変換したら先に「巣食う」って出て怖くなったので、そろそろこんなどうでもいいお話は辞めにして、試験勉強の続きに戻りたいと思います。アデュー。