僕として僕は行く。

旧・躁転航路

名前を呼ぶ

名前を呼ぶ。好きな人の名前は好きだし、恋じゃなくても好きな人の名前を呼ぶと楽しい。好きじゃない人の名前はあんまり呼ばない。呼ぶと言っても、実際には声を出しては呼ばない。心のなかで声に出してみる。その名前をの意味してそうなところを勝手に考えてみたりする。好きの人の名前はありふれた名前でもかわいいし、珍しい名前でもやっぱりかわいい。その人の名前が特別な意味を持つようになったら、それは恋愛であってもなくてもあいてのことを好きになったことなんだと思う。名字やファミリーネームよりもやっぱり名前のほうがかわいいと思う。名字やファミリーネームは、外向けの記号という印象がどうしても強いけれど、名前やセカンドネームを呼んでいると、呼ぶ度にその人と過ごした時間が増えていくようで、少しずつ愛着みたいなのが増えていく。名前。人間が生まれて初めて獲得する、最初の名刺。僕が知る名前は、本名であっても無くても構わない。そこにあるであろう思い入れについて考えることができれば、それはもう名前としての可愛らしさは十分にあると思う。

名前なんて究極的には記号なのだから、本来的にはすべて代替できる。たとえば僕の名前はガメラとかでも本来は問題ないし、ガメラくんと今の名前の間には全く優劣などは存在しない。けれど、ガメラくんじゃなくて、デンバ・バじゃない君の名前は、他の形でありえた中でそれを選んだという事実、それが何よりも尊いからこそ、名前は特別な意味と機能を持つんだと思う。だから僕は毎回の記事にもちゃんと名前をつけたいし、名無しのままの曲には早く名前をあげないといけないと思う。そうしないと、何度も心のなかで読んで、一緒に過ごせる時間が出来なくて、それは間歇として、名もなき存在としての分類の範疇から逃れられない。名前のないものには、早く名前をつけてあげましょう。