僕として僕は行く。

旧・躁転航路

アイ・ヘイト・評論家

 評論家みたいな人間が僕は個人的に一番嫌いで、なんだアレ、適当なことばっか言って、専門外のことまでさも知ってますみたいな顔して喋ってるけど、ある程度知識のある人から見たら的外れもいい所だ、っていう場合が多い。で、まだ何かしらの専門領域を持っている評論家って尊敬できると思うけれど、何の取り柄もない人が主婦代表とかいって偉そうな意見を言っているのも理解しがたい。それなら適当にそこいらのおばちゃんをしょっぴいて来て喋ってもらったほうがリアリティがある。今日の主婦です、とかいって、スーパー帰りのおばちゃんが、ビニール袋ぶらさげて登壇して、普通に喋る、いや、まあ普通には喋らんないだろうから、あわわ、よしゆき(仮)見てる~?母ちゃんTPPのこととかわかんないわ~とか言ってるほうが良いし、そのほうがコンテンツ性高いと思う。

 評論家、根本的に何する人なのかわからないし、どこに需要があるかわからない上、それでもある程度支持されてたりするの、本当にひどい現状だと思う。ある程度その分野に関する専門知識があればゴミみたいな事しか言ってねえなってわかるけれど、そういう知識のある人の相手をしていても飯が食えない。むしろ判断能力に乏しい人の同意とか支持とかを搾取するのが上手いだけっていうことで、それで飯が食えるっていうのが、世の中すげえよな、と思う。

 けれど、適当なことしか言わないし、あコイツまた適当なこと言ってるっぽいな、いっちょ調べてみるかみたいな気持ちになれるというのは、逆説的だけど評論家さん達を見ていて唯一みのりのある帰結だと思う。発言の真偽があやしければあやしいほど存在価値が増すという在り方。でも、それぐらいしか彼らのやることって無い気がする。

 で、なんでこんなに評論家を目の敵にするかっていうと、ともすれば自分がそういう風になりそうだからだと思う。自分のブログを見ても、何してる人なのかまるでわかんないし、広く浅い知識だけあって、しかも世の中の出来事にいちいち反応してるし、本当に評論家っぽいな、って思った。そうならないよう、気をつけながら、適当に頑張って行きたいと思います。