僕として僕は行く。

旧・躁転航路

僕の好きな2ちゃんねるって終わった気がする

 多分最初から最後までいわゆる懐古厨みたいなことになってしまうと思うのだけれど、自分として整理しておきたかったので、ここに整理しておく。僕が思うに、2ちゃんねるのすごかった所って、どこからともなく特定の話題に関して謎に詳しい人物がいきなり現れて、一般人の知らない深層みたいなのを書きなぐって消えていくみたいな所で、そこには他のインターネットに無かったダイナミズムがあったように思う。それがFunnyかどうかっていうと、まあある意味そういう空間が存在するのってすげえなっていうFunnyさみたいなのはあったけど、内容そのものが圧倒的にinterestingだったから僕は結構魅了されてしまったんだと思う。

 つっても、最近でもそういうのが無い、ということは無い。HUNTERXHUNTERの読解のスレでは、キメラ・アント編で、物語の進展が、メルエムとコムギの打つ軍儀と綺麗にリンクしているんだっていう説とか凄く面白かったし、ああこれがかつての2ちゃんねるだったなあという感じがして、なんか逆に新鮮だった。Radioheadのknives outのコード進行の妙とか、もしくは彼らの演奏法についてとかも、そういう感じで教えてもらったことだ。で、そこに属人性が無いってことが余計に不思議で、知識自体が独立して展開していくっていうのが面白かったと思う。書き込む方も、書き込み内容が属人性を持たないことを前もって了解しているから、なるべく普遍的な言い方をすることで、伝わりやすくしてくれてたんだと思う。

 でも、あそこはもはやそういうフィールドではなくなったんだな、という感じはする。よっぽどアンダーグラウンドな分野とかは知らないけれど、僕みたいなパンピーの目に入ってくるリソースのなかには、かつてのような、謎に詳しい書き込みとかほとんど無くなってしまったし、2ちゃんねるというものの認知が広まるにつれて、そういう人たちの声っていうのがやっぱり見えにくくなってしまっていると思う。多分、人が集まってくる空間の一切は、どっちかっていうと生き物に近くて、いろいろな状況に影響を受けながら、時とともに変質していくものなんだと思うし、それ自体を否定することは出来なくて、今のあそこはあそこで楽しいと感じられる人もいっぱいいるのだろうし、自分がそうでないというだけの話な気もするけど。

 そういう、特定の物事に謎に詳しい人物とか、Twitterとかブログにはちょくちょくいるので、結局僕にとってはそっちのほうが心地良くてそっちに入り浸るようになったのが僕の現状なんだと思う。ただ、Twitterにしろブログにしろ、どうしても知識が属人性を持ってしまうから、ああ、この人はこの人のコンテクストでこういう事を考えているんだろうな、みたいなことになってしまって、知識そのものを普遍性のある形、署名の無い純粋な知としてのテクストとしてそれぞれを受け止めることが難しくなってることだけは、すごく勿体無いことだと思う。顔の見えない他人、ある人には大文字の他者とか言ったほうがより詳細に伝わるような、そういう他人、それが唐突に放り込んでくる正しく斬新な知識、そういうものに圧倒されるような体験は、それだけで心地よかったし、そういうメディアがまた出てきたらいいのにな、とか、老害っぽく思っている。