僕として僕は行く。

旧・躁転航路

なんで頑としてはてなブログを使っているのかわからなくなった

 今日までずっと続けて書いてきたけど、今日書かないと当分途切れそうな気がしたので頑張って書く。はてなブログを使っていると正直ストレスが多い。ただ、書いた記事がシンプルに表示されるのでその点は使いよいが、はてなダイアリーの延長だと考えるとはてなブログはかなりストレスフルなものになる。だから、出来るだけはてなブログはてなブログとして独立したものだと思って使うようにしてきた。

 ただ、トラックバックが送れないというのは何だかそういう頑張りみたいなのもう必要ねえか、放棄してはてなダイアリーに戻るかと思わされる出来事だった。誰かの記事に感銘を受けて、僕はその感銘をこう綴りました、という時に、「実はこのエントリに感銘を受けて書きました~」だのいうセンテンスを入れることを強要されているとすら思った。それは、確実に文章のリズムが乱されることだし、そういう時にエントリの最後にトラックバックを飛ばして、あ、これに対するトラックバックなんだぜ、と示せるのがリズム的には一番心地良いのだが。なんで、開発者の思想のせいで、利用者が自分の綴る言葉の緩急を調整しなければならないのか、いまいち理解できないと思った。

 しかしながら、そうだ、ぶーたれるぐらいならはてなダイアリーか、はたまた全く別のブログサービスに移ったほうが誰もが幸せになるのだ。そもそも、ずっと使うならば、もっと利便性とか使い勝手を考えて選択すべきだった。なんとなく思い入れのある企業の新サービスだからいっちょ試してやっかみたいな偉そうなスタンスがそもそもよくなかった。そういうのは誰も幸せにならなくなる場合によくある感じのスタート方法だった。そして何よりもある程度蓄積が出て手作業でのデータ移行がだるいぐらいの分量になってからそういうことを思い出すのは本当に無計画でよくない。

 id:jkondoが得意気に「はてブロにトラックバックは必要だとは言われて来なかったしそういう時代なんですよ~」みたいな言及をしていてイラッとしてしまった。なんでこの人はそんなに得意気なんだろう。時流がシンプル・イズ・ベスト的な方向に、シンプル=洗練されているということに乗っかっとけ、みたいなところまで邪推してしまった。けれど、そもそも、一企業の意思決定者に対して、株主でも内部者でも無い癖にイラッと来ている時点で、もうなんか色々と終わっているのかもしんないな、と冷静になって思った。もしかすると僕はスクエニをおかしくさせたノイジーマイノリティのような存在なのかもしれない。サービスの作り手サイドからすれば、自分たちの行きたい方向に頑として抵抗してくる固定客とかいうのは多分うざくてしゃあないだろうな、と思う。恋愛において、勝手に好きなっておいて、~さんって変わってしまったよね、みたいな幻滅を抱いている時の構図と近しいものがある。その子はその子だ、元からそういう気質のあった子なのだし、人は変化するのが当たり前だ。その変化の過程を他人が固定させて自分の好きなように形を変えてしまうのは本当に不健全でよくない。僕は、そんな「大将、味が変わっちまったんじゃねえか」とか言いたがる常連客として、このブログ・サービスの暖簾をどんな顔してくぐればいいのか、ちょっとわかんなくなってしまっている。