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僕として僕は行く。

旧・躁転航路

今しか無いとか言って

 生活が安定することで、やりたいことが沢山出てきていて、しかしながらそれらに翻弄されるような状況が相変わらず続いている。やりたいことの中には、本当にさまざま種類のものがあって、単に自分がやりたいだけだったり、まったくお金にならなかったりするものから、一生を賭して取り組むべきものだったり、社会的意義があると自分が信じているものだったりする。

 でも、僕はこれらの内にはまったく優劣はなく、それゆえ優先順位もつけがたいと信じている。そして、欲張りだから、全部やりたいし、極端だから、何か選んで諦めるぐらいなら、いっそ何もやりたくないとすら思ったりもする。

 くわえて、この状況の前提にあるのが安定した生活リズムなのだけれど、実はこれが曲者で、なかなかの維持コストがかかる。できればコストを意識せずに維持できるようなシステムが組めたらいいが、それは全くもって簡単なことではない。けれども、面倒だからと言って手ぬかりし続けていると、荒廃したものが充満しはじめてきて、結局はモチベーションの根源のようなところを侵していくわけだから、おざなりにするわけにもいかなかったりする。

 要するに、どうあったって僕はいつでも雁字搦めなのだということなのだろうか。なぜ僕はいつでもこうなのだろうか。焦りだけが募っていく。どうしようどうしようと狼狽しているあいだに人並みに年だけを取り続けていく。どうしたらいいのか。ずっと試行錯誤してるけど、うまくできるようには、いつまで経ってもなれない。

自分自身の主人であることをやめて

 状況を整理しよう。僕は転職をして時間が出来た。けど遊んでばかりいるわけにはいかなくて、少しずつ出来ることを増やしていかなければならない。そんな中でやりたいことは沢山ある。やらなければならないことも沢山ある。そしてそう遠くない将来僕は家庭を築くことにもなるだろう。そうなればより多くのことをしなければならない。これらにちゃんと優先順位をつけて、やることとやらないことを取捨選択していかなければならない。正直言うと少しウンザリもしてきた。

 すこし短気になったように思う。もしくは短気な自分に気づくようになったのかもしれない。すこし臆病になったように思う。臆病になっただけじゃなくて、それに付随して姑息にもなったように思う。臆病で、いつ怒られるかビクビクするのに疲れている分、怒られない相手の時は存分に手抜きをするようになってしまった。本当に情けないことだ。こういった態度の問題は根深い。油汚れのようにじっくりこびり付いてきた分、なかなか簡単には取れない。自分の人生を取り戻すにもリハビリがいる。 

残虐記 (新潮文庫)

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  桐野夏生残虐記」では、監禁されていた少女が元の家庭に戻っても、もはや元の生活は帰ってこないということに対する苦しみが描かれる。人生だってそんなものかもしれない。1年ぶりに帰ってきた人生を相手にして、正直僕は手をこまぬいている。自由には責任が伴う。日々考えて選択していくことを一度放棄してしまうと、怠惰な喜びの中に浴している「手軽さ」として身に染みこんでしまうのだろう。奴隷の愉悦そのものだ。 

ストレイト・アウタ・コンプトン ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]

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  ティーンのドクター・ドレーはこの映画の冒頭で「俺の主人は俺だけだ」と言って放つ。それをすぐに母親に揶揄されるのだけれど。だけれど、そのシーンは笑いどころではない。揶揄されるような現状があろうと、自分自身の主人であり続けるという意志は、一度放棄してしまうと、簡単には帰ってこないなかで、誰に何を言われようとも、そのアティテュードを抱き続けられたドレー。僕はそんな彼の強さなんてすっかりわかっておらず、ただ抑圧してくる対象から離れればそれですんなり自分の人生が帰ってくるとばかり思っていた。しかし、そうではないのだ。人生を誰かに譲り渡した奴隷には奴隷なりの、居心地の良さがそこにはあったのではないかと思ってしまうほどに、僕は骨抜きにされてしまっていたのだった。莫大な自由を手にして、その責任を持て余しながら、そんなことを考えたりもした、久々のゴールデンウィークだった。

弱くなんかなかった

 地獄のような前職からようやく足を洗って、今日から新しい職場(そこは非常に「人間的な最低限度の文化的な暮らし」が可能な場所だ)に通っている。といっても、今日はGWの真っ只中で、カレンダー通りの現職ではまた連休に入るから、本当に就業開始と言えるのはこの連休が明けたあとのことだ。連休でちゃんと休みがあるというのは、当たり前のことなのかもしれないが、今は本当にそれがありがたく、何物にも代えがたい喜びを感じている。

 前職で過ごした1年間は、長い、とてつもなく長い、終わりのないトンネルにいるような気持ちでいたように思う。だから、まだトンネルの暗さに慣れてしまったこの目は外の明るさについていけないけれど、何とか薄目で後ろを振り返ってみれば、とにかくトンネルから抜け出すために何とかスキルを磨いて、そしてそれを30時間寝ていない体のままで何とか売り込みに歩き回った自分の姿が見える。まだまだプロフェッショナルとは言えない僕の各種スキルではあるけれど、でもスキルそのもの以上に、そうやって様々なツールを自ら身につけていく姿勢こそが評価されて現職でのポジションに繋がったのだから、たった1年とは言えど、よく頑張ったのではないかと思う。

 そうしてトンネルの中にいた頃よりも、更にもっと前のことを振り返ってみれば、僕は実はタフな部分もあったのではないかと思えてきた。たとえば作曲だって誰かに教わったわけでもないし、DJだってそう。翻ってみれば塾講師も大学受験も、誰かに手取り足取り教わったわけではなく、常に周囲の人々の助言や助力を得ながらも、ベースにあったのは常に僕自身の工夫し取り組む力だったように思う。

 これから先は僕の人生を奪おうとしてくる様々なものに対して決して譲り渡さないことを忘れないで、僕に本当に必要なことをもう一度明確にして、そこに邁進していくだけだ。

 僕は弱くなんかなかった。強いところだってあった。地獄を通り越して僕はそれを知った。それと同時に、地獄のさなかにいる人の気持ちもわかった。僕はたまたま強かったからそこから抜け出せた。運がよかったとも言える。

 弱くなんかなかった僕は、もうすぐ27歳になる。残念ながら27歳で命を落とすようなロックスターになるのは間に合わないかもしれないけれど、それを除けば僕は今から何にだってなれるし、なってみせる。弱さだけでない自分を見出したように、空虚なだけじゃない自分を、いつか見出だしてやれるように。

楽になりたい

 楽になりたい、そんな気持ちで何かを選択するのは本当に良くないことなのだろうか。今はもう、成り行きに全て身を任せていたら、何もかもがしっちゃかめっちゃかで、てんで収拾がついてない。何とか毎日生き延びて、どうにかこうにかやり過ごして、たまの休みは体が動かない。
 どこかで、みんなそんなもんだよと自分に言い聞かせて、気付いたらボロボロのお爺さんになってるような、そんな生き方でもいいんじゃないかという声が聞こえる。でも、そんな訳がないだろう。いったい誰の人生なのだこれは。
 だから、楽になりそうなところに身を置いて、それから自分の人生を人生に奪還するということは、それは一概に逃避なだけではないのじゃないか。それこそが今の僕に最も必要なことなのではないか。そうやって自己肯定を必死にしようとするけれど、色んなしがらみや疲労なんかを言い訳にし続けてきて、僕はいつ、僕に戻れるのだろうか。

2016

 2016年になりましたね。僕はなんとか大丈夫です。大丈夫です、というか、別に東京と大阪でそこまでの大差はなく、ただ問題があるとすれば、こちらでの仕事の激流に呑まれて自分のペースを完全に失っていることでしょうか。

 深刻なのが自分のペースを失っている、コントロールを喪失しているということにほとんど気付けていなかったことだと思います。それに気付けたのは、昨年末に見た映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」の中でドクタードレーが言っていた、「俺のボスは俺だ」という言葉のおかげでした。

 この日記を久々に読み返していると、当面の目標として「タフになる」という目標を上げていました。それは半分は達成できたかもしれないけど、でも半分は自分の人生のコントロールを放棄するような仕方で可能となっていたことでもあって、それじゃいけない。現状があり、それとは乖離した理想もある、その隔たりを詰めるために必要なものを把握して行動に移していく、今までの僕ならそんなに難しくなかったこの過程がすべて曖昧で、なんとなく夢想しては仕事を言い訳にしては立ち消えになって、それじゃ僕の人生じゃない。やっぱり、僕として僕は行くのだということを念頭において、2016年を生きていかないと嫌だなと思った年始でした。最後になりましたが、皆さまお久しぶりです。

Year 2014 The Best 30 Track

Best Album 30 とはあまり被らないように気をつけました。順不同です。

 

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