フィクション
シリアをフィクションというのが、俺わかんないんだわ。
イスラムという犠牲を信じてるという意味かもしれないけど、人が考えてやってることという点では、フィクションじゃなくてリアルだよと思うわけです。
— マサ兄 (@masa2h) 2014, 10月 7
イスラム国やそれを取り巻く環境を「フィクション」だとか本気で考えてるんだとしたら、かなり壮大なお花畑だなぁって思う。日本から見ていたらフィクションにしか思えない状況をリアルに感じてみたくて、とかなら分からなくはないが。それとも言葉を使いこなせない人なのか。
— 北村智史 (@kitamura_sa) 2014, 10月 7
某北大生氏とこの人らの違いは、要はフィクションっていう言葉が含みうる範囲の違いでしか無いんだけど、そういうことも全く考慮できない人間が大量にいてのっけから否定されまくってるので、そりゃこんな奴らに囲まれてたら嫌にもなるだろうなという気持ちがする。
イスラム国とフィクションの話、結局、世界同時革命とかのフィクションにすがったのと同類?ちょっと違うか。 まーしかし、今が嫌だから、それの価値観はともかく今じゃなくなるなら支持する、という層は必ずいるので、注意が必要。。
— やのつとむ (@t_yano) 2014, 10月 9
もう全部どうでもいいわだるいわっていう気持ち、わからない人には多分一生わからないのだろうなという気持ちがする。全部どうもよくなった人でさえも取り込めるフィクションの懐の広さとはみたいなこと最近よく考える。
「『人権』なんて概念フェイクだ」とか中学生みたいなこと言い出して悦に入るのは中学生で終りにしろよって話で。そんなこと言い出したら通貨だって株式だってなんだってフェイクだろ
— Erscheinung38 (@Erscheinung35) 2014, 10月 14
要は屁理屈やめろって言いたいっぽいんだけど、屁理屈だろうが理屈であってちゃんと反論できないんだったら言う意味ないし、理屈の上では勝ち目ないけど止めさせたいみたいなモチベーションあるなら暴力しかない。理屈はフェイクだけど暴力はフェイクじゃなくてリアルだみたいなこと上のほうの人もいたことだしちょうどいい。
ちなみにフェイクとフィクションを意図的に混同してるのは、僕の感覚で日本語をあてると両方とも「虚構」だからです。ついでに嘘と本当についてちょっと考えた結果思い出したものをいくつか。
永い生涯に於いて、嘘でなかったのは、生れたことと、死んだことと、二つであった。−『逆行』 太宰治
I'm not here
This isn't happening
I'm not here, I'm not here−『How To Disappear Completely』 Radiohead
単なる離人感とも言えるし、『健常な』感覚で言えば無責任とかそういうことになるけど、この手の感覚がわからない人はずっと多分わからない。一生、自己効力感という「フィクション」の中で生き続けられることこそ何よりも恵まれているとかいう逆説教かましたい。
あとあんまり関係ないけど、数年前に見て全然しっくり来なかった『パルプ・フィクション』は今見たらだいぶ違ったりするのだろうか。