僕として僕は行く。

旧・躁転航路

∀ガンダム雑感① 死に場所を求めてしまうことについて

 ∀(ターンエー)ガンダムっていうガンダム作品をなぜかこのタイミングで全部見なおしていまして、それがつい先程終わって、最高だったので、∀ガンダムのお話をしたいんですけど、それをするには∀ガンダムの一体どこがどう最高なのかみたいな話からまず始めるのが筋だと思うんですが、すみませんが(?)、それについては後回しにさせてください。いま自分の頭の中で色んなものが繋がって来ていて、それは多分いまというタイミングを逃したらまたどっかにふわふわ飛んでいってつかめないことなんで。ただでさえ思考があっちこっち飛んでいきがちなので。

 

 で、この∀ガンダムの主要テーマとおぼしきものはいくつかあって、その中の1つが「システムの良し悪しは要は使う人間次第」っていう話です。象徴的なのが、主人公機であるところの、∀ガンダム、これは実はかつて地球の文明を一度すべて無に帰したヤバい機体なんですが、心優しい主人公ロラン・セアックは大きな災厄をもたらすことなく運用していて、最小限度の戦闘と、あと牛の運搬とか川での洗濯と乾燥とかに使っています。草食系のハシリじゃありませんが、ロランはそもそも戦うことが好きじゃありません。かといって臆病なんじゃなくて、戦闘的な行為や振舞が問題解決にとってあまり必要ではないと考えているタイプです。

 そして、そのロランと対照的に、ロランを除く登場人物のほとんど、特に男性キャラクターとかは、モビルスーツガンダムとかの戦闘ロボットのことを指します)が出てきたからそれを使って戦争がしたくて仕方ないんですね。あるものは復讐のために、またあるものは武功を立てて名誉や地位を獲得するために、またあるものは死に場所を求めて。軍人にとって、戦場で死ぬことより名誉なことはないみたいな話かもしれません。そもそも生きて帰ってくるために戦争に行くとかいうのはおかしい話ですよね、それなら最初から戦場なんかに行かんし。と、こういうことを考えてたときに、ふと思い出した話があって、それが以下の引用です。

伊集院光「僕は落語家になって6年目のある日、若き日の談志師匠のやった『ひなつば』のテープを聞いてショックを受けたんです。『芝浜』や『死神』ならいざ知らず、その時自分がやっている落語と、同じ年代の頃に談志師匠がやった落語のクオリティーの差に、もうどうしようもないほどの衝撃を受けたんです。決して埋まらないであろう差がわかったんです。そしてしばらしくして落語を辞めました」

立川談志「うまい理屈が見つかったじゃねぇか」

伊集院光「本当です!」

立川談志「本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。まず最初にその時お前さんは落語が辞めたかったんだよ。『飽きちゃった』とか『自分に実力がないことに本能的に気づいちゃった』か、簡単な理由でね。もっといや『なんだかわからないけどただ辞めたかった』んダネ。 けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないもんなんだ。そしたらそこに渡りに船で俺の噺があった。『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるなら、自分にも余所にも理屈つくってなわけだ。本当の本当のところは、『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」

伊集院光・立川談志との対談「噺家を辞めた理由」 | 世界は数字で出来ている

この引用中にあるように、伊集院光にとって「談志師匠の落語を聞いてショックを受けた」というのが、彼の中にあった「落語をやめたい」という気持ちのトリガーを引く「もっともらしい理屈」であるのと同様に、軍人たちにとって「名誉の戦死を遂げる」ことは、おそらくは彼の中に元々ある「人生をやめてしまいたい、死にたい」という気持ちのトリガーを引く「もっともらしい理屈」であると考えるべきなのかもしれません。しかも、戦場で死ぬなら、それは名誉ですらある。同じように戦死していく仲間もいて、決して1人でもない。国民とかいう顔の見えない「仲間」がみんなで弔ってくれさえする。寂しがり屋にとっては最高の死に方なのかもしれません。だからこそ、ここで僕が言っておきたい点というのは、戦争があるから死ぬのではなく、死にたいから戦争をする人々が存在しているということです。

 本来的には単なる現象でしかない、「生と死」に意味を与えずにはいられないほどに、人は弱く儚い存在です。だからこそ、「死」に「共同体の名誉」という形での意味を与えようとしたくなる一部の人々の心の動き自体は否定できません。しかしながら僕は言わなければならない。あんたの死にたいという思いの巻き添えになって死ぬのは、死んでもごめんだ、ということを。なぜなら、僕はどんな風に死ぬかを他人に委ねられるほどヤケではないし、その程度には自尊心があるから。僕は1人で死ぬし、あんたも1人で死ななければならないんだ、そうじゃないと、おかしなことがいっぱい出てくるから。

 

 

誰かの無知や偏見で
俺は死にたくはないんだ
誰かの傲慢のせいで
俺は死にたくはないんだ

俺は俺の死を死にたい
俺は俺の死を死にたい

俺は俺の死を死にたい.mp4 - YouTube

 

 

 最後に。戦争も、いや、ひいてはこの「生と死」というシステムさえも、「要は使う人次第」なはずです。僕はそれを、軍人のように自分のヤケや名誉のためにではなくて、ロランのように、人を優しく包み込み、日々を愛するために使える人になりたいのです。

 「やっぱりミリシャのコンビーフは、月で食べてもおいしいですね」

第42話 「ターンX起動」より、ロラン・セアック