僕として僕は行く。

旧・躁転航路

タフ考

 タフ、タフになるということで2014年の目標をタフになるという方向、方向というのもおかしいけれどまあそういう按配でやらしてもらってます、やらしてもらってるというのもこれまた変で、何故かと言うとそもそもこれは僕の人生だから、何も謙譲することはなくて、まあタフになるということでやってきているわけだけれど、現状全然タフになっていなくて、タフになるというのは思いのほかむずかしい。そう、タフになるのはむずかしいのだと改めて思っています。

 なんでそういう風に思い至ったかというと、お気に入りの服が、着すぎてダルンダルンになってきているという事実からとうとう目を背けられなくなって精神がアァ…ァ……となりつつあるからです。あっこれダルンダルンのやつかな?と思ってたけどお気に入りだから無視してダルンダルンのまま着てたらとうとう完全にダルンダルンになってかなり悲しい、というのが現状で、ああでもこれ直せばどうにかなるんじゃないか、なんか仕立て屋とかに持って行ったらどうにかなるんじゃないかと思ってホウボウ当たってみたけど無理みたい。お気に入りのものを愛用しまくるとクオリティが下がっていくの納得できないし悔しい。

 一般的にいって使い込めばモノというのは良くなっていくはずである。好きなCDは聴きこめば聴きこむほどどんどん良さがわかっていくし、オーディオ機器は使い込めば使い込むほど自分の好きな音に染まっていく、特にそれなりに値段が張るようになればなるほど、その深化の度合いというか遊びがいっぱいあって然るべきである。にも関わらず衣服に関してはいっぱい着れば着るほど傷んでいくというのはどう考えてもおかしい。たとえばジーンズならいっぱい履けばいい感じに傷んでいく、しかしそれは衣服類のなかでは例外的なもので、基本的にはダルンダルンになってみっともない感じになっていく、グランジファッションならそれもアリかなと思うけどそれにはそれに適したデザインというものがあるし今僕が嘆き悲しんでいる対象というのはそういうのではなくむしろラフに着れるけどデザイン的にはシュッとしているという奇跡的なバランスでなりたってるものだけれど今となってはダルンダルンで全然シュッとしてる感が出てこずもうダメな感じがする。

 そもそも僕は何か/誰かにあまり愛着を持つ方ではない。持ち物は少ないほうがいいと思っているし友人も本当に信頼できる一握りの人間がいればそれでいいと思っている、むしろ新しい環境を広げるのがストレスでかったるいしダルい人間と出会いダルい気持ちになるリスクのほうを避けたいと常に考えている(タフになろうとしている人間の発言だとはまるで思えないが)。だからこそ、数少ない信頼できる環境というのには、もうちょっと一般的な度を越した愛着を示す感じになっていて、好きすぎてダルンダルンになってしまったあの服はある意味僕のその歪んだ愛の形が如実に反映されているものとも言うことができる。正直言うと僕はあの服を一生着続けたかった。いや、正確にはもうこれを着れる年ではないな、みたいな感じになるまでは着続けたかったのである。だから僕のほうから選んでそれを捨てることが出来るまで着続けるつもりでいた。にも関わらず、ヤツのほうから音を上げてしまった、ヤツは全くタフではない。だからこそある意味僕のほうがタフだったのであり、それはそれでまあタフであることが判明したため合目的的な経緯を辿ったのだとも言えるが何だろうこの寂寥感は。全く釈然としない。そもそもたかが衣服一枚に対してこんなにプリプリしてる人間がタフであるはずはない。タフな人間はダルンダルンになった衣服などその場で即座に引き裂いて1枚490円のタンクトップだけで生活しているはずである。

 だから僕もそんなタフガイを見習って一切の衣服を今すぐにまとめて火をつけて完全に燃やし尽くしてやり、明日のバイトには「全ての服を燃やしてしまったので今日は、というか服が手に入るまでは行けません」と言って休んでやろうかと思ったがそれはタフガイというよりは、ちょっとした、いやちょっとしたどころではない、割とヤバい奴だろうからさすがにそれはやめておくことにした。そもそも世の中のタフガイはそんな風にヤケを起こさない人間である場合が多い、そういったヤケの誘惑を断ち切って中庸の範囲内にちゃんと収められる人間をタフガイという場合が多い。しかしながら24年前に私は生を授かってからというもの常住坐臥Always日常茶飯事Whenever24/7ヤケクソで生きてきたのでそういう丁度良さみたいなのがよくわからない。何事もやり過ぎるかもしくはやらなさ過ぎで生きてきたので結果的にこういうことになっている。

 そういえば、と言ってあまり関係の無い話を始めるのだけれど、その前にまあ言っておくと、この文面からご理解いただけるように、私は先日から躁っぽいのである、だから思考があっちこっちに飛びつつも言語だけがガシャガシャ流れこんでくるような状況にいるわけで、それはさておき元々言おうとしたことに戻るが、そうだ自分の好きなプリントパーカーなりプリントトレーナーなりを作ればいいのだということを、これまた何の脈絡もなく急に今日のバイト中に思いついたので、そういう感じにしていきたい、自分でデザイン指定して元のデータだけ残しておいたら、ダルンダルンになってもまた発注すれば済むのであり、一石n鳥(nは任意の整数)になると思われる。ということでイラレとかフォトショでもイジれるようになろうと思う。タフとかどうでもよくて今はそれに興味があるのでそれをする。なんかよくわからないけど結論にまで辿りつけてよかった。