僕として僕は行く。

旧・躁転航路

空は藍色 / Andymori

 今年は、「ひこうき雲」に今まで無い意味を見出すようになった。今年公開された宮﨑駿監督映画の「風立ちぬ」は、まさに、ひこうき雲の映画だった。また、EDテーマの、荒井由実の「ひこうき雲」では、空への憧憬が、少女の儚くてあやうい衝動とオーバラップするように歌われる。

 そして、今年リリースされた、Andymoriのスタジオラストアルバム「宇宙の果てはこの目の前に」にも、ひこうき雲に関する歌が収録されている。「空は藍色」という一曲だ。

 ひこうき雲が残る、だだっ広い藍色の空の下で、こんなにもちっぽけで、些細な自分が、迷い悩みながら生きている。そして、自分の立つ地面と、藍色の大空がオーバラップする瞬間を、「爆撃機」という存在に託さざるを得なかった彼の無力さや葛藤が、僕の耳を通して心にまで伝わってくる。

 ここで少々解説的になるけれど、アルバム「宇宙の果てはこの目の前に」をリリースしたばかりのAndymori小山田壮平くんは、ラストライブ・ツアーを目前にした今年7月に、河に飛び込んで意識不明の重体となる。その後、一命をとりとめたのち退院し、現在は、また手術が予定されているなかで、リハビリを続けているという。

 こういった経過は、彼のことを知らない人に、ただのヤバい奴だ、という印象を残すのだろうか。僕は彼をそんな風には思わない。彼は、時代をそのまま写す鏡で、何もかも、ありのままに受け止めているだけにすぎない。だから、彼の危うさは、そのまま今という時代の危うさだ。「ずっとずっと思っていたことが、考えるのをやめたせいで、わからなくなっちゃった、それでいいと諦めた」。こう歌う彼を、誰が責められようか。彼は誰よりも悩み、考え続けてきたというのは、彼のファンなら、誰しもが知っていることだ。そしてそうやって悩み続け、選ぶ言葉と、下す決断と、うたう歌と、その全てを常に人々に問われ続けてきた彼が、精神的に破綻していくのを、誰が弱いと言えようか。彼が弱いとすれば、その弱さと向き合う過程を公開してきたことの代償に過ぎない。だから、彼に応えるためには、僕らも、この世界の、悲しみと、無茶苦茶さと、酷さと、そして美しさと、対峙し続けなければならないんだ。

 「ひこうき雲 もうこんなにも、君を探してしまうときも、空は藍色」。僕は、空をみあげて、ひこうき雲を見つける度に、この一節を思い出して、今まで書いてきたようなことを思ったりする。「ひこうき雲」は、夢と、遠い国と、爆撃機と、大空と、Andymoriと、小山田壮平くんのことを考えるためのキーワードになった。

 

 

宇宙の果てはこの目の前に

宇宙の果てはこの目の前に

 

 

 

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