僕として僕は行く。

旧・躁転航路

12月

 12月になってた。今年の記憶ほとんどない。だから自分のブログ読み返してだいたいどういう感じで推移してきたか思い出してる。何個かいい文章かいてると思った。

 で、読み返しても、結局よくわからない1年だったと思うけど、なんか内省みたいなの (「学部生活の5年目が終わろうとする冬に思ったこと」、「眠れない夜のこと」とか ) を例年通りやりつつ、好きなものとか好きなことについて文章したり(「五十嵐隆『生還』@NHKホール 5/8」、「金原ひとみ」、「『宇宙の果てはこの目の前に』/andymori」とか )、もしくは、その対象との距離で自分のスタンスを確認したり (「太陽を隠す雲の気持ちを知ってるのかい」とか )、というのにはある程度手応えがあったと思う。あと多分、色々なことを諦めたり受容したり取捨選択していったりするなかで、良くも悪くも葛藤みたいなのが少なくなってきて、1日の過ごし方のなかに優先順位を作ったりして、淡々とこなせるようになった。

 第三者的に見て僕の状況というのは葛藤が無いとまずい、という風な態度を示してくれる人もいるなかで、まあ僕はこれでいいんですよ、と言うことに迷いみたいなのが無くなって、それはもう生きていたらそれでいいということにしましょうというところで自分の中で手打ちをしているからなんだなあと思う。これは「生きている」の中で書いたような気持ちがベースにある。めちゃくちゃ憂うつになる原因っていくつかあったけど、その中の主要なものの1つだった、将来選択、みたいなのを放棄したから、だいぶ精神が安定した。ちゃんとする、とか、人並みにしっかりする、お金をしっかり稼ぐ、みたいなの完全に諦めたら、驚くほど肩の荷が下りた。自分で言うのも何だけれど、とりあえずは生きてさえすればそれでいいということにしながら、その一方で、少しずつ、毎日の満足度みたいなのを高めていくために、目標に向かって毎日ちゃんと階段を上るようにしたい。

 階段を上っていくということに関していえば、やっぱりもう少しそのペースを来年はあげていきたい。毎日上がる、ということに対してさえ、ほんとうに四苦八苦してる状況だから、はやくそれを当たり前にこなせるようになって、調子の良い日は2段3段と上がれるようになりたい。本当に本当の最低限だけこなすような状況がずっと続いているから、それはあまり好ましいことではない。かといって、急すぎるペースだと途中でバテてしまうので、一番いいバランスの取れるペースというのをどうにかして見つけ出したい。とは言いつつも、習慣を作って継続的に努力するっていうのが何よりも苦手な自分が、それなりに、最低限でも毎日ちゃんとやれるようになったのは、結構大きな一歩かなあとかも思ったり。まあそこで満足してちゃ絶対にダメなんだけど。それはそれで、何もなかった1年ではなかったんだという収穫として、来年の今ごろ思い起こせるように書き留めておきたい。

 色々考慮すべきことは多いけど、最後の日に笑って過ごせるように、残り1ヶ月と、あと来年と、頑張りたいと思います。