僕として僕は行く。

旧・躁転航路

 さむい。さむいと死にそうになる。死にそうなるというのは、死にたくなるというのとはちょっと違う。死にたくなるのは、身体的な要因は別に関係ない。そうじゃなくて、死にそうになるというのは、主に身体的な要因で、死の到来を感じるということ。冬は、草木が枯れたりして、色々なものが死んでるイメージがあるけど、これだけ寒いと、そりゃ死ぬと思う。冬眠する動物は賢い。けど、夏も、大戦末期や終戦のイメージがあるし、あとお盆もあるからか、死のイメージみたいなのを感じる。干からびたミミズのことも思い出す。

 そういえば、John Fruscianteのアルバムに、The Will To Deathというのがある。まあこのアルバムに限らず、John Fruscianteの作品は、全体的に冬っぽいし、あと死っぽい。なんとなく最近よく聞いてる。僕は、冬っぽい音楽作品が好きというよりは、冬っぽくないもの以外があんまりしっくり来ないという感じがする。これまでずっと、冬は死にそうになるから外に出れなくて、家で音楽を聞いていることが多かったからかもしれない。あんまり季節感が強すぎる作品は好きじゃないけど、冬っぽいのだけはしっくり来る。だから、冬は冬っぽいものを聞いて、冬以外は季節感の少ないものを聞くことが多いのかもしれない。さいきんゆっくり音楽を聞く機会が少なかったので、今は何もせずに音楽だけをゆっくりと聞いている。

 はやく春が来てほしい。