僕として僕は行く。

旧・躁転航路

眠れない夜のこと

 いつの頃からだろうか。眠れない夜が怖くなくなったのは。それはあまりにも僕に馴染みすぎていて、ことさら考えてみる機会もなかったけれど、眠たくなくて起きていたというよりは、むしろ眠ろうとして眠れなかった今夜に、ふとそういったことを考えてみたりした。

 眠れないということの最初の記憶は、いま考えてみれば意外にも、とても恐ろしいようなものだったように思う。小学生の頃に、サッカーの合宿で訪れた宿で、僕だけが一人眠れなかった。ついさっきまで一緒に騒いでいたチームメイトたちもすっかり寝静まった大部屋は、不気味なまでに静かで、高原の空気は冷たくて暗く、頼るべき家族もいないここでは、僕は1人なのだと思った。

 そして、まるであの高原の朝霧が、記憶にすっかりと掛かったままであるかのように、それが具体的にいつ頃のことなのかは思い出せないが、ともかくいつしか眠れない夜は僕にとても馴染むようになっていた。この時間に、僕はたくさんのことを思い、たくさんの希望と、その数倍の絶望と焦りが去来して、そこには音楽があるときもあるし、無いときもあった。そんな風にして夜をくぐり抜けて迎える朝の倦怠感も、嫌いではなかった。その種の倦怠感は、僕に本当によく馴染んだからだ。眠れなかった夜をそのまま身に纏って、朝から身を守った。眠れない夜に対してよりも、人々が目覚めてくる朝に対する違和感のほうが僕にはずっと強く、そんな違和感から、僕自身を守る必要があったのだ。

 それは今もかわらず、当たり前の営為として習慣となり僕の体に溶け込んだ。だから、体力的にはそろそろ眠くなってもいいはずの時間でも僕が眠れないのは、すっかり錆びてしまった夜という鎧を着替えるためなのかもしれない…。そんなことを思ったりもした、急に寒くなった中秋の夜更けのことだった。