僕として僕は行く。

旧・躁転航路

昨日と一昨日のこと

 この2日間とても精力的に過ごした。久々に会う方々や初めて会う方々とお酒をのんで色んなお話を聞いて、その後ばかでかい音量で音楽を聞く場所に行き、朝方ネットカフェで寝て、そのままあるデモ行進のような、パレードのようなものに参加してきた。それぞれ、本当に思ったことは沢山あり、また日を改めて言葉にしていきたい。ただ、2日とも参加してよかったと思えるものだったのは間違いない。

 さて、連休のうち2日が終わり、暦の上では3日目に差し掛かったのが現在で、私は完全に躁のなかにいる。脳みその中に、音楽とことばと思想と感情とがものすごい勢いで浮かんできては勝手に形になろうとしていく、ほぼ制御不能の状態になっている。創造性という観点からは好ましいのだろうけど、それを手放しで喜んで出てくるもの全部をアウトプットしてたらえげつないことになる。過去の経験上、こういった場合は絶対に揺り戻しが来て酷く憂鬱な状態が続くのだ。だから、ほどほどにする必要がある。こういった状況をコントロールできるようになって、ちょっと躁ぐらいの状況をキープできれば、毎日達成感のある日々を送れるのかもしれないけれど、今はちょっと難しくて、何も手がかりさえない。ちょっと躁のときにスピード控え目に意識を持つみたいな試行錯誤を繰り返していくしかない。

 出てくる思考の断片のようなものが、それぞれどの程度関連性を持ったものなのかあまり判断がついていない。要するに、この文章は支離滅裂になっている恐れがある。いま、「公開する」ボタンを押す前に随分とセルフ公正したのだけれど、かなり削ったり直したりしたので、やっぱり脳を休ませたほうがいい気がする。というか、これはある種悲観的な言い方かもしれないけれど、僕の脳はやっぱり段々とおかしくなってきている気がするし、もしかすると、僕の人生において、ある程度しっかりと思考できる期間というものの残り時間を意識していかないといけないのではないかと思う。少々ヒロイックすぎる見方かもしれないが。