僕として僕は行く。

旧・躁転航路

こんなことして何になる

 最近なんかしらの意見を自分のペースで表現したら、まあだからブログとか音楽とかで自分の気持ちをあらわしたら、公開して数分後に俺の意見なんか公開して何になるとかいう気持ちになる。それを煎じ詰めるともう二度とやらないぞバカ野郎みたいな気持ちになる。

 それは、正直なところ、どんな形であれ文章を書いたり音楽を作ったりしている人はみんな少なからずあると思う。こういう人種は、何かコメントくださいとか書く人もいるし、書かないでもコメントがあったりはてブロならスターがついたら嬉しかったりするんだけど、「こんなことして何になる」という気持ちが、「ああ、何かになったぞ」という安堵を求めているからなんだと思う。

 おうおうにして「こんなことして何になる」とかいう気持ちに安易になりがちだけど、「うむ、確かに何にもならん」という風に真に受けてしまうとどんどん何もやらなくなっていってしまう、無気力な感じになるので出来るだけ回避していくほうがよい。何か作ってる人間のほうがえらいとかそういうことは全然ないけれど、僕自身の問題として、何か作っていったほうが、最終的に自分の人生に満足できると思う。だから、僕はこんなことして何になる、という台詞を自分に向かっては言わないことにしたいし、もちろん誰かに向かっても言わないようにしたい。

 もしかすると、エネルギッシュに成功していく人間は、こんなことして何になるということを、こんなことまでしたんだから何か成果に結びつけてやるという気持ちなのかもしれない。僕はあんまりそれは思わないけど、もしかするとそういう気持ちの持って行き方も今後は必要なのかもしれない。