僕として僕は行く。

旧・躁転航路

24日のこと

 24日は反日外にいただけですが本当に色んなこと、というか一つのトラブルでかなり長い時間を取られて疲労困憊しました。だからといってもう外でない!バカ!という気にはなりましせんが、色々と考えさせられることも多く。だいぶ角がとれて丸くなっていたつもりですが煽られるとやっぱりダメですね、スイッチが入ってしまいます。とか書くと心配されそうですが全然元気でビンビンしています。出来事の内容としては、割とどこに書けばいいのかよくわからない感じのことで、自分なりに色々と整理しておかなければいけないんですけど、個人特定されうることなので難しかったりします。うーんうーん。まぁ本当に一筋縄ではいきません。トラブルも起こります。胸糞も心の底から悪くなります。

 ただ思い出すのは、宮台真司が言っていた発言の、「ドストエフスキーの人物描写にあれほど幅と深みがあるのは、彼自身が地獄を数多く見てきたから」というものであって、ああこれも芸の肥やし(何の芸だろう)にもなるかな、何事も人生経験だなと思うと悪くなかったのではないかと改めて思う次第です。がんばります。

自分が正しいと主張するより、不正な目に遭うほうが、高貴なのだ。自分が正しい場合は、とくに。ただし、そんなふうにふるまうには、豊かである必要がある。

ニーチェツァラトゥストラ」「山蛇に咬まれることについて」より