僕として僕は行く。

旧・躁転航路

無人島にもっていく数枚のCD

 CDを掘り続けていると、というと少し旧時代の言い方なのかもしれないけれど(なんせ時代はMP3だ)、僕の場合はロック・ミュージックを丁寧に探し続けてきた時期というのがあって、多分同じような趣味を有している人はみんな首肯してくれるのだと思うのだけれど、こういった趣味のなかで最も幸福な瞬間っていうのは、一生聞ける、間違いなく素晴らしい作品に出会えた瞬間を指すのだと思う。

 僕なんかは生半可だけれど楽器を弾くから、そうやって素晴らしい音楽に出会って、ここどうなってんだっていって調べてギターで弾いてみて、なんだこんなもんか、とすんなり入ってきて幻滅することも稀にあるけれど、大抵の場合はどういう感性してたらこんなもんが出てくるんだという方向での衝撃が残る場合のほうが大きい。音の選び方、コードの進行、アレンジ、エフェクターの使い分け、メロディ、そのいずれをも取っても完成しているとしか言えない奇跡のような一枚というのは確実に存在する。

 だから、音楽好きが言う「無人島にもっていく〜枚のアルバム」というのは大げさだがあながち間違ってはいない。おそらく無人島にCDを再生する機械などは無いだろうし、また無人島にもっていくものを準備する暇が与えられるのであれば、本気で生存するためのものを揃えるか、もしくは逃亡するほうが良いけれど、でももしCDや何らかの音源媒体と心中するという事態があるとすれば必ず持って行くのだろう、というCDは何枚か存在する。

 ふと自分が音楽を作っていて、いいフレーズが偶然のように生まれてくる、このフレーズを最大限活かして一曲という形に落としこむにはどうすればいいか、そうだ、あのアルバムを聞こう、あのアルバムにヒントがあるはずだ、そうやってiTunesから検索をかけてはじまったこのアルバムは、決して叙情的的なものでなければ、大げさなストリングスが涙を誘うものではない。その歌詞に象徴されるように、むしろ徹底的にニヒリズムを突き通したものだ。それでも、その奇跡的な完成度に、思わず涙腺にこみ上げてくるものが少しある。たとえばオーロラを見た時に人々が感動するのは、その奇跡的な調和に対してだけれど、それと同じことを、この、無人島にもっていくCDから僕は感じられずにはいられない。