僕として僕は行く。

旧・躁転航路

久々の日記

 久々に日記を書く。精神と心は明らかに違うものであって、前者で理解していても心がついてこないということがやっぱり人間にはあるらしい。らしい、と書いたのはそれに薄々気づいていたけれど強引に精神を心で矯正して生きてきたからで、でもそうやって自分を無理やりグイっと持っていくような体力が無くなってしまって。

 誰かから元気をもらう、みんな戦っている、だから俺も戦おうということは精神では理解できていても心がついてこないことがある。夏目漱石は「向上心のないものは馬鹿だ」と言ったが、自己愛(本当の意味での愛)の無い人間は向上心が湧いてこないから、結果として馬鹿になる、ということだと思う。だからジョン・ロールズが共通善としての基本財の中に自己愛や自尊心というものを考慮にいれたのは正しいと思う。

 

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 埃をかぶっていたGT−10というマルチエフェクターと、埃をかぶっているテレキャスターを、Macに繋いだ。そしてGaragebandから音を出してみた。なかなか良い。多少のレイテンシ(弾いてから音が出るまでの多少の遅延)があるのは気になるが。それでも、今までデモ録るのにギターと声を一発録りせざるを得なかったわけだから、方法としてはだいぶ広がったと思う。マイクを注文したので、これで声も入れられる。言葉自体は湧いてくるが、コードを探して、メロディを言葉につけてコードに乗っける、という作業がどうもうまくいかない、うまくいっている時の感触が無く、フワフワとただコードを順番に弾いているという感じしかない。音楽としての連なりのようなものをなかなか感じられない。仕方ないので、新しい曲を産み落とすのは置いておいても、今ある曲だけでも、ちゃんとデモの形にして、声をかけている人々に渡したい。こういうのは、ある程度作業的にやってしまったほうがリズムが出来てよい。現に、ギターを握るのがやたらと億劫であっても、握ってしまえばなんか一曲ぐらい弾くか、という感じになる。それでその曲のコードを覚えて、というのを何日かにわけて何曲かやってるうちに手癖でコード進行が生まれて、曲ができるはず。どうにかして、一日一回はギターを握りたい。