僕として僕は行く。

旧・躁転航路

数えきれる数字を数えないまま

 幼稚園に上がる前か、もしくは在園中のどちらか忘れたけれど、まだ母親とお風呂に入っていた頃の話で、母親に「〜くんは数字をいくつまで数えれるかな?」と言われたので数えていって、40ぐらいでわからなくなったフリをしてやめたのを覚えている。僕は本当はその時には十の位が終われば百になるのも知っていたし、もしかすると千も知っていたのかもしれないけれど、能力があるにも関わらず面倒になってやめてしまうことの、なんとも言えない楽さ加減を覚えたのは多分この時の体験だと思う。本当は、あそこで叱責されなければならなかったのだろう、なぜわかるのにやめてしまうのか、どうして逃げるのかと。それでも僕はあまりに狡猾だったので、僕がわからないフリをしたところで母親はわからないだろうという確証があってやっていた覚えもある。
 僕はその後の人生において、ずっと「数えられる数字をあえて数えない」人生を送り続けてきたように思う。まるでその時の呪縛にかかったままのように。そう、僕は幼稚園児の頃の風呂桶の中で数字を数えていた頃の僕とまるで何もかわっていなかったのだ。ずっとあのまま、自分が数えきれるほど数えたならばゆでダコにでもなってしまうだろうし、第一僕が手抜きしても誰もわからない、そういう前提のまま、周囲を見くびって、限界とはあくまで想定されたものでしかなかった。
 その後、色んなことを限界まで「数えない」でやってきた僕だけれど、大学受験だけは多少は自分の限界と戦ったように思う。それでも、限界を超えた経験や実感というのはこれまで皆無に等しい。そのことに気づいたのが大体二十歳ぐらいのころで、このままじゃいけないなと思い続け、限界までチャレンジするということにある種の憧れを抱き続けてきたはずだった。 そして、その対象となるものも見つかった。音楽だ。
 しかし今日の僕は、そんな憧れもとうに放棄してしまったように見える。 限界にチャレンジするということは、一見華々しく見えるが、実際はかなり地味だ。地道で、かつ報われるかどうかすらわからない努力をひたすらに重ねていく他無い。僕は飲食店などの行列に並ぶのが嫌いだ。いつか自分の番が確実に回ってくる行列というものにすら、待たされるのが苦痛で仕方がない。まして、限界へのチャレンジというのは、自分の前に何人が並んでいるのかもわからない、そして自分の番が回ってくる確証などまるでない世界だ。もはや信じるほかない。意志の力が試される。それはある意味信仰の力なのかもしれない。こんな無意味なことをして何になるとは思わずに、ただひたすらに祈り、努力を重ねていくほかない。
 いま、僕は限界へのチャレンジという行列から、一旦離れたところにいて、それを見守っている。本当にここから離れていいのか、立ち去って二度と戻らない覚悟はあるのか。それをひたすら、問い続けている。