僕として僕は行く。

旧・躁転航路

無題

 職場にさぁ、ヨシミさんっていう、もう定年間際の、孫もいるような人がいるんだけどさ、もう随分昔の人だからさ、まあこういう言い方もアレなんだけど、やっぱり若い子らと比べると言葉遣いも古くてさ、何も書いてない真っさらなコピー用紙のことをパイパンっていうわけ。で、もともとさ、パイパンつったら、麻雀の牌のさ、何も書いてないハクって奴の古い呼び方なんだけどさ、お前ももしかしたら知ってるかもしれないけど、っていうかこっちの呼び方のほうが聞いたことある可能性は高いと思うんだけど、パイパンっつったら、俗称で、毛の生えてない女性のアソコのことを指すんだよ。で、ヨシミさんったら、新入社員の若い女の子に向かってさ、「おい、パイパンの紙一枚とってくれ」とか言っちゃうわけ。で、その女の子、ミサキちゃんっつうんだけど、ミサキちゃんったらセクハラされたんだと思って完全に顔が怒ってるわけ。もう、これだからおじさんは嫌なのよみたいな感じで。違うんだよなあ。別にヨシミさんもセクハラするつもりなくて、むしろパイパンにそんな俗っぽい裏の意味がついてるだなんて思いもよらないもんだからさ。本当に不幸だよな。誰も悪くないのに傷つく人が出てきちゃって。まあケッサクっちゃあケッサクなんだけど。この状況で一番邪悪なのは、多分俺みたいな奴だよな、自分だけ両者の言い分を理解していてさ、それでいて敢えて静観してニヤニヤして、不幸だよなあーとか言ってるんだぜ。でも、ハクのことをパイパンっつうような世代っつったらもうほとんどいないんだよ。プロ麻雀の実況ですら言わない。ややこしいからね。今の若い人で麻雀打つ人でさえも、そんな呼び方があるって知ってる人のほうが少ないんじゃないかな。だって、今時の若い子らで、プロ目指して、プロ試験受けに来た人の中で、実際の牌握ったことないとかいう奴も結構いるっていう話だぜ。インターネット麻雀とか、ゲーセンの麻雀ゲームとかで鍛えて自信つけてくるんだろうけどさ。そいつらなんて、そりゃ当然チッチーを満貫だとか申告してきたりとか、タンピンドラドラで満貫ですとか平気で言ってきそうで怖いよな。大体、麻雀の醍醐味っつったらあの目配せとか呼吸とか打牌の強度とかリズム・テンポとかそういうかなりアナログな部分だと俺は思うんだよな。そんなのは絶対ゲーセンで鍛えられるものじゃないし。言葉じゃなくて空気感だけで三味線を引いたりとかもそうなんだけど。でも、そういう経験を積んで来てなくてもちゃんと一人前に打てて強かったらプロになれるんだから面白い世の中だよな。俺が思うに、こういうのって、現代っていう状況をすげえ端的に表している現象なんだよ。何がかっつうと、プロとアマの境目が限りなくボヤけてきているっつうかさ。過渡期なんだよ。いままで綺麗にくっきり分けられてきたものが色んな要因ですっかりその基準が機能しなくなっちゃって。じゃあ何がプロで何がアマなんだとかなると、結局はもう実力でしかないんだよな。要するに、看板に頼って飯が食える時代じゃなくて、もう中身そのもので勝負するしかないんだよ。それがいい時代なのか悪い時代なのかは多分まだわかんないよ。そういう大きなうねりの真っ只中にいる時には絶対にわからない。評価っていうのはどうしても事後的なものでしかないし、もっといえばその時代から照らし合わせたものでしかないじゃない。村上春樹がさ、時の審判を受けていない新しい小説なんて読んでも仕方が無いみたいな話をするんだけど、それも確かに一理あるっつうか、一理どころかそれが誤らないための正着なんだと思うけど。でも、そういう奴だけじゃ絶対に新たな時代の評価軸みたいなのって生まれないと思うんだよ。だから、俺たちはビビってないで、どんどん評価っていうことをやっていく他ないと俺は思うんだよな。