情報とやらについて
SNSとか見てると、有用なものから無意味なもの、更には日常会話などとみな熱心に言語情報のやり取りをしているのだけれど、果たしてそれにどれほどの意味があるのか、と考えていると疑問符がつくように思う。っていうか、そもそも情報とは、いったい何なのだ。そこからよくわかっていない気がしたので調べた。
とのことだが。つまるところ、「情報」についての「情報」というのは非常に多義的であって、なんとなくイメージは出来るものの、具体的な定義をやすやすと与えることのできるものではないらしい。この、「情報」とやらの言葉に出来なさは、なんというか、ウィトゲンシュタインの言うところの、有名な、「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」と似たような何かがあるような気がする。
あと、なんとなく勘で「情報哲学」で検索したらやっぱりあった。残念ながらあまり有名なジャンルではないようではあるが。日本語で書かれた体系的な書物がひとつ見つかったので、その著者の名前で検索したところ、意味論とか言語哲学のセンセだということがわかった。ふむ、やっぱりそっちに吸収されるか、といった感じ。
まあでも、この際みなさんも一緒に考えてみて欲しいのですが、そもそも「情報とは何ですか」と問われた時に、簡潔に、かつ正確にその定義を答えることはできますか、というのが一つ引っ掛かりとして僕にはあって、それにも関わらず我々は日々多くの情報を受け取ったり垂れ流したりなんやかんやしているわけですね。要するに、ほとんどの人が何かよくわからないものを毎日好き好んで流通させているわけで。それってかなり不思議な状態ではないですか?私には不思議で仕方がありません。