僕として僕は行く。

旧・躁転航路

中学の時の彼女

 先日、いつものように喫茶店で勉強していた時のことだ。衝立を挟んで隣に、あきらかにパーティー向きの格好をした女性の一団が座った。僕は構わずに勉強を続けていたが、彼女らの会話の、声のデカさと、内容の低俗さにうんざりして、これまたいつものように、Aphex Twinを聞き始めた。
 途中で気付いたのだが、その一団は僕の中学の時の同級生たちだった。その中には、中学の時に付き合っていた彼女も含まれていた。本来なら他人の会話に耳をそばだてるような真似はすべきではないと思うのだけれど、まさか知人の会話だとは思わずどうにか無視できないかと模索していたうちにどうしても聞こえてしまうその内容は、〜君はボーリングのスコアが〜点ぐらいでめっちゃかっこよかった、等というものだった。とにかく、男の話が続いているようで、それもボーリングのスコアで男を測ることが出来る馬鹿げた文化も存在できるのかと驚きもしたものだが、その話題の中心には、やはりかつての彼女がいたのだとすこし遅れて気付いた。
 Aphexを聞き始めて暫くして、どうにも耐えきれなくなった。今でも付き合いのある中学の頃の知人いわく、その彼女は未だに中学の頃の集まりのなかで僕の悪口を言っているらしい。それ自体はまあ仕方が無いいというか、随分根に持つ人だな、という程度で、何かしら幻滅を抱いていたもののそれがあまり現実味がある話ではなかったのだが、彼女がもはやボーリングのスコアで男を測る人間にまでなってしまったことに耐えられないということにようやく気付いた。付き合っている当時は、僕は彼女のことを尊敬していた。彼女は僕よりも勉強もできて、明るく、周りには常に友人がいた。今でもどうやら友人が周りにいるのは変わらないらしいが。そして、僕はどこか、多少の幻滅を抱きながらも、そんな頃のように、いつまでも彼女を尊敬していたいと考えていたようだった。しかし、知らない間に、彼女の背中を追っていた筈の僕は、彼女を置き去りにして全く違う地平にまで来てしまっていたようで、時はこれほどまでに残酷なものなのかと目の前で見せつけられたようだった。その事に耐え難い苛立ちを改めて覚えた僕は、もう席を立つことにしたのだが、そこで一つのことに気付いた。そういや先日、「街コン」(街単位での合コン)が僕の住んでいる街でもあるらしい、と母親が言っていた。面白そうだし友達を誘って行ってみてもいいかもしれない、と考えていた僕は、あの一団はその街コンに向かう途中なのだと気付いて、死んでも参加しないし、参加しなくて本当によかったと心から思ったのだった。