僕として僕は行く。

旧・躁転航路

俺バーサス俺

 自分で言ってて俺らしからぬ発言だなと思うけれど、人間って、自分自身と戦っているのが自分自身にいちばん変化をもたらすのじゃないかと思う。まだるっこしい言い方だけど、わかりやすくいえば、成長するというか。たとえば誰かと戦って決着が付いた時に、手元に残る自分は勝者か敗者のどちらかでしかないけれど、自分自身の中の葛藤にケリをつけると、そこには勝者としての自分と敗者としての自分が両方出来るので、かなりお得感があるように思う。
 っていうのも、まあこれは自分自身の経験からもそう感じるし、プラトンが思索的に実りあるものを残すようになったのは、師匠ソクラテスの刑死をきっかけに深い自問自答の日々に浸るようになってからなんだよなあという発見があったからであって。
 でも、自分自身の中に対立する二人(もしくは、それ以上)を置いて戦わせるのっていうのは、やっぱりかなり体力がいる。そうすると、決着がついた時には、勝者と敗者の両方のマインドを抱くことが出来るんだけど、それは当然ながら、決着がつくまでの過程において、一人二役をやることにもなるから、体力も倍使う。いわば、もともと一人である自分に、元手の二倍のレバレッジをかけて、結果も二倍得ましょうっていうことだから、リスクもコストも単純計算で二倍になる。だからこそ、多分若い内しか出来ないし、それが端的にいうとだるいと思ってしまっている僕はすでにもうなんか疲れ始めているということで、体に汗かくのも頭に汗かくのも正直だるい。なるべく穏便に生きたい。攻撃力は高いけれど守備力がかなり低いので自分自身の攻撃力で自滅する恐れがある。その辺ももうちょいうまくコントロールできるようになったら、俺バーサス俺を再開していきたいと思う。