僕として僕は行く。

旧・躁転航路

似非だるま

 今日はなぜか行動力があって、バイトの申し込みと、その返答のメールにかかれていた番号に電話して面接の日取りを決めた。電話口で話している感じでは、相手にとっての僕の心証はあまり良くないのだろうな、と思ったけれど、これは僕が神経質に、ネガティブな反応だけを拾い過ぎているだけなのかもしれない、とふと思う。

 今回の電話に限らず、あらゆる他人との関わりあいの中で、それを失敗できない類のものだと考えた時に、そこからネガティブな反応の要素だけを拾い集めてしまうようなところがある。おそらくは、相手の反応の中には、そういったネガティブなものだけでなく、ポジティブなものというのもいくらかあるのだろうけど、それらについてはなぜか記憶に留めておくことが出来ないことになっている。いま思えば、昔からそうだった。良いことよりも辛いことばかりを思い出す。物心ついてすぐぐらいの記憶をいくつか掘り起こしてみても、1人ぽつんと取り残されているような風景ばかりが思い出される。

 幼少の頃は、おそらく、そんな風な孤独な風景が普通だったから、あまり気にもとめていなかっただろう。子どもというのは放っといても1人で遊ぶもので、それはそれで楽しくやっていたのだと思う。けれど、僕は4つ離れた兄と専業主婦の母がいるにも関わらず、きまって思い出すのは1人で遊んでいた頃の幼い自分ばかりだったな、と回顧できるよう年齢になった時には、既にそれが疎外の経験として遡及して思い起こされて、以来そのイメージは孤独の風景にとってかわり、その呪縛に僕は取り憑かれることになった。その幻影の呪縛は、23歳にもなった今であっても変わらず僕の元を去ってくれない。だから、僕は、本当に僕に必要な人々と相対する時には、何一つとして失敗が出来ないと感じる。孤独の呪縛の中に差した、たった一筋の明かりを、絶対に逃してはならない、扱いをしくじってはならない、と強く思っているのだろう。そしてその思いが強すぎるあまりに、今まで自由だった体は突如としてまるで麻縄で緊縛されたかのように、どうしようもなくぎこちなくなる。

 決して容姿端麗でも無く、才気に満ちていたわけでも無く、かといって女の子を楽しませることが上手かったわけでもない僕が、それでも無意識のうちに恋人という存在を求めるようになって、そしてどうにかしてそれを手に入れられるようになってきた思春期の頃から、彼女たちには、常に、そんな風にして僕を縛る縄を解いてもらうことを求めてきたように思う。けれど。そもそもの元をただせば、この縄を最初に見つけて、至る所に玉結びをつくって解けないようにしたのは、きっと僕自身だ。だから、本当はその解き方も僕にしかわからないはずなんだ。けれど、どうしても、あるいは、どうしてか、僕はそれを僕自身にしてやることは出来ない。ただ僕に出来るのは、自分で完全に四肢の自由を奪っておいて、それでいて口元の自由だけ残しておいたものだから、助けてくれと叫ぶことだけし続けるような、哀れで醜く情けない似非だるまとしての振舞いだけだ。似非だるまになった僕は、当然、自分では身動きが取れない。それでも、何度も何度も僕は似非だるまになる。誰かいつか助けてくれると、無様に転がり続けて生きていくような方法しか、僕は知らない。そんな風に転がり続けている間に、頭を打って、おかしくなってしまった。誰かせめて、僕を直立させてはくれないか。