僕として僕は行く。

旧・躁転航路

不治の病

 僕の弟は数多くの難病を抱えていて大変かわいそうである。家の中の行った部屋の電気を全てつけたままにしておかないと死ぬ病気、そしてそこから派生した出かける際には玄関の電気を付けっぱなしにしておかないと出かけられない病気、自分が食べたあとの食器を流しまで持っていけない病気、数多の目覚まし時計をブチ切れながら止めておいて朝方になって目覚ましが鳴らなかったという主張の下に怒り狂わなければならない病気、どれも症状はかなり重く、一向に改善が見られないので、かなり辛いだろうな、と思う。ちゃんと調べたことないけれど、これらをしっかりと治療しようと思えば、その病状から察するに、おそらくは治療費はかなり高額になってくるのだろう。幸い、彼の病がこれまでのところ直接的に命に関わるような結果を招いたこともないので、家族としても静観しているという具合なのだが、これ以上病状が重くなるようであれば、やっぱり兄である僕が一肌脱いで、街頭募金に繰り出すしかないかな、とか考えている。彼は何も悪くないのだ、ただ彼の生まれ合わせた運命が酷かった。なぜ病は彼だけを照準に合わせたのだろうか?同様の病は、確かに笑い話として友人知人から聞くこともあるが、彼の場合は物心がついた直後から家族の矯正を受けてきたにも関わらず一向に改善が見られない非常に重度なものであるので、決して笑い話に出来るレベルではない。いったいどこの誰が彼を笑うことができようか。彼はまあはたから見たらまるで努力している様子は見られないがそれでも彼なりに10年以上にわたってなんとなしに努力してきた結果なのであって、その努力も実らないのであればどうしようもないのだから笑っても仕方がないし、それと同様に「なんて無神経な奴なんだ、同じことを12万9000回は言ってるのに治そうともしないだなんて、そもそも毎回ちゃんと人の話を聞いているのかも怪しい、あいつはほんと昔からそういうところがある、というか、家族がもう誰もあいつに向かって強く言わないのであれば俺が代弁するしかない、しかも場合によっては暴力的な手段に出ることも辞さない覚悟がこちらにはあるというのをしっかりと示さないと、そうじゃないとストレスのあまり全身に蕁麻疹が出て痒くて痒くて仕方がなく、そのせいでホルモンバランスが乱れ人よりも精通が遅れた思春期の頃の自分にとっても、そして何よりも当人の今後を考えても良くないことである」だなんて微塵も思ってはならないし、第一そんなことは思ったこともない。というか、そんな思ったこともないことを引き出してくるこのブログというスペースが僕は怖いし、それを喜んで読んでいる人々が存在するというのことはもっと怖い。そう、世の中はあまりにも怖い。どこでどう狂わされるかわからない。だからこうして僕はこんな風に言葉で完全防備する癖がついたのだ。攻撃は最大の防御である。先手必勝である。一瞬でも油断を見せればそこを突かれて俺はあっという間に血祭りに上げられ、虫の息になり、満身創痍、息も絶え絶え、四面楚歌、俎板の鯉、五体不満足、精神病、抑うつ状態、睡眠障害、つまり、こんな風にして僕は言葉のシャドーパンチを毎日やらされることになったんですけど、どういうことなんでしょうか。