僕として僕は行く。

旧・躁転航路

デロンデロンの汁

 書くことねえなとか思ってたけど、書き始めていると色々話題にすべきことはいっぱい転がっていることに気づいて、こんな風にして日記を公開することはそうやって日常に潜む整理すべき事柄をちゃんと拾い上げることなんだろう。んでもって、こういった営為がどれだけ意味を持つのかは今はまだわからないけれど、やらないよりは多分やったほうが良い。出来れば長くやりたい。そうすれば、そういや去年の今頃ってこんなこと考えてたよな、とか思い出せるかもしれない。

 さっき戯れに昔、といってもわずか数ヶ月前のものなんだけれど、の日記を読んでいると、意外としっかり書いていて、毎日適当に書いているという自己認識との間に微妙なギャップがあることに気付いた。ただ、やっぱり適当な時はかなり適当で、まず文構造や言葉遣いの段階で良いとは言えるものではなく、そういうのは自分で後から読み返してもつまらないし、ちゃんと書こうというモチベーションにはなる。あと、短いと個人的にはつまらない。少なくとも3段落ぐらい書きたいけれど、3段落と言わずもうちょい一回辺りの文量を増やしていきたい。全体としてあっさりしすぎていて、自分としてはまだまだ灰汁が弱いように思う。それは、書いた当時の体力的な状況からしてもある種仕方の無いことなのかもしれないけれど、ここで終わっているのは勿体無いな、もっと先まで行ける取っ掛かりなのにな、ということがちょくちょくある。要は、全体的にもうちょっと中身のある感じにしていきたい。言い換えれば、灰汁を出しまくってデロンデロンの汁みたいな感じにしたい。僕は露悪的なところがあるので、そんな風にデロンデロンになった汁を他人にも飲ませてキャッキャ喜んでいたいタイプなのだ。我ながら悪趣味だと思うけれど、それはそういう風に育ってしまった以上どうしようもない、というレベルで根源的な僕の一側面なので、皆さんにはそのデロンデロンに煮詰める過程に付き合っていただくことになるだろう。