僕として僕は行く。

旧・躁転航路

 僕の字は、一番長く付き合った彼女の字とそっくりになっちゃってて、ちょっと手描きで文章とか書いてると否応なく思い出されて辛い。よく言われることだが、やはり僕の恋も上書き保存されない。なんとなくどうしようもなくなって3年ぐらいの付き合いにピリオドを打つことを決めたのは僕のほうだけど、まああれはあれで良かったと思えるシーンもいっぱいあるし、相変わらず身勝手だなあ。あんまり自分のなかでその辺整理できていないみたいなのの象徴が、この字体という現象のように思えてきて、うーんとなる。

 そういえば、その彼女と別れて以来、恋人の字まで好きになって真似るとかいうことが無い。大学生になって、ノートの貸し借りとかしなくなったからかな。コピーで済ませるし、写本みたいに書き写す必要もない。というか、字なんてただの記号でしかないと気付いたのかもしんない(じゃあ今の苦悩はなんだ)。ただ、一番長く付き合った彼女は、高校生の頃から付き合ってたので、ほら、高校とかって、なんかかわいい字が書けるとか、そういうのが結構何かしらの象徴性を持ったりするじゃないですか。あえて崩し字に挑戦したり。僕の場合はそういうのの延長として彼女の字を真似てしまったのだと思う。彼女の字、とても特徴的だったし、そんな字を使って、僕より良い成績を収めちゃう彼女が好きだったから、余計に。

 だから、次恋人ができたら、交換ノートとかするとかして、まあ相手の字体を上書きしたい。字体は、上書き保存しか出来ないから、せめて昔の恋人の字はやめるべく。自分の字体を探求するというのもありだけれど、今それをやると多分、普遍的に綺麗な字とか書こうとし出して、無味乾燥になっちゃうかも。まあでも、それも悪くないか。字体を恋人に上書き保存してもらい続けるより、自分で編集できるようになるほうが、自立した大人って感じ。なんか最近、子どもっぽいことばっか言ってる。逆に、逆にね。大人になりたくないんでしょうね。