僕として僕は行く。

旧・躁転航路

吊り橋効果

 ちゃんと文章を書くという行為、冷静に考えると結構意味不明である。文脈とかちゃんと作ろうとしてるの、ある意味頭おかしいのではないか。本来ならば、文脈を無視して、「御意~~御意~~~」とか適当に言ってるほうが面白いし、逆に知性みたいなのがあって良い。みんなちゃんと文脈を作んないと死ぬみたいな病気にかかってるし、ちゃんと意味のわかることを主張しなければならないみたいな妄念に囚われていて辛く感じる。出来るだけ意味のわからないことを話すのが最も価値のある行為だと思う、いや、価値があるっていうか、どうせ語ることに等しく意味など無いのだとすれば、字面だけでおもろいみたいなこと言ってるほうがお得だと思う。同じカロリーなら美味いもん食べたほうがいいだろみたいな感じ。

 あと肉類はワサビをつけるとまじでご飯が進む。特に鶏肉とかハムとかにワサビをつけると、それだけで大抵事足りると思う。ワサビを使うとたまに塗りたくりすぎて神経痛みたいなのが顔面の中枢を迸るけど、他の調味料とかじゃそういうリスクもないしつまらないと思う。俺は日夜ワサビを通じて食材との吊り橋効果を楽しんでいる。その吊り橋効果が生存の不安を呼び覚ましガリガリの俺に白米を食べさせる。結果的にガリガリからいわゆる細マッチョといわれる程度にまで回復すると、その好青年しかりとした印象から内定も出まくることが予想される。ちなみに、さっき鏡で顔を見たらジャンキーかつグロッキーみたいな人間が死んだ目でこっちを見ていた。怖い。この場合の今日には吊り橋効果などは起こさず、ただただ単なる恐怖であって、普通に怖いし、怖いだけでその後「これって恋なの・・・?」とかなるわけないし、あとキモいし、ご飯食べて太ろうと思っただけだった。