僕として僕は行く。

旧・躁転航路

リチャードと金原ひとみとアイスコーヒー

今日という日は混然としすぎていて、なんと纏めてよいのかかなり難しいのだけれど、そのゴチャゴチャ感自体が結構不思議だったりするので、なんとか文章になればいいなと思う。

今はどういう状態でこの文章を書いているのかというと、イノダコーヒーの喫煙席で、iPhoneBluetoothキーボードを使って書いている。元々、読んだ本を読書メーターに追加して、気に入った一節を引用するためにこのキーボードは取り出したのだけれど、実際使い出すとなかなか快適で、だいたいiPhoneに物理的に接触していないこのキーボードを叩くと文章が出来上がるというのが不思議でかなり楽しいので、止まらなくなってしまったというのが真実だ。

今日は朝方EURO2012の決勝を見てそのままずっと寝ないでいるのだけれど、EUROが終わってから、何故だかはわからないのだけれど、自分にはそもそも何も無いんじゃないかということを急激に思い知らされる気分になってしまい、非常にダウナーな状態が続いていて辛かった。

こういう時は、音楽はAphex Twinしか聞けなくなる。彼の無機質なビート、愉快犯のように踊れるとも踊れないとも言えるその曖昧なラインをなぞり続けるビートが何よりも心地よくなるのが、今のようなダウナーな気分の時だ。僕が彼に踊らされるかどうかは、完全に彼の気まぐれ次第だ。彼はときに非常にダンサブルでアッパーな曲をラインナップに織り込んで来る。数多くの変名も含めた彼のあらゆる作品を含んだプレイリストをシャッフルしていると、時々そんな「幸運な気まぐれ」が立ち現れる瞬間があるのだけれど、シャッフルを繰り返していくうちに、次第にその「気まぐれ」が幸運なものなのか不運なものなのか僕にはわからなくなって、最終的にはパブロフの犬のように、彼独特としか言いようのないアシッドラインを聞いているだけで、全ての曲に脳みそが麻痺して神経を支配されていく感覚を覚えていく。これこそが、Richad D.Jamesの総体なのだろう。言葉の一切無い彼の音楽は、言葉が語りうるものの牽強付会な性格をただ僕に思い起こさせてくれる。

そんなことを考えながら、傍らには読み終えたばかりの小説がある。彼女は言葉でしか語り得ないものを語っている。そして他方で彼は言葉では語りえない全てを表している。樽のようなグラスに入ったアイスコーヒーは、思ったほど減ってはいなかったから、次からは一つ小さなサイズのものを頼まないといけないな、と僕はキーボードにはねた黒い水滴を拭い取った。