僕として僕は行く。

旧・躁転航路

死ぬまで殴りあう

 普通のお付き合いをしているつもりなのに、気づいたら死ぬまで殴りあうタイプの恋愛に陥ってる人種がいる。次はそんな事にならないよう誓っているんだけど、どうしてもそんな風になってしまう。破滅型の恋愛とでも言うべきなんだろうか、自分を相手に開くというのがそういうことなのだという感覚がどうしても拭えない。そういうタイプの人間は、往々にしてそれ以外の方法がよくわからない。相手が受容的であれば、尚更エスカレートしてしまう。殴りあうことを求めているのに、気付いたら一方的に殴り続けている。最終的に、どっちかがノックダウンするまでそれは続くことになる。

 そういう失敗を何度か繰り返す中で、徐々に恋人と呼ばれる者に対して適当な距離感を保てるようになっていくのかもしれず、殴りあって終末を迎えた恋愛を単純に失敗だと断定してしまうのは早計なのかもしれない。けれども、殴られたことで出来た傷も、殴ったことで出来た傷も、そう簡単に癒えるものではない。相手が痛いだけではなく殴った拳も痛むというのも、この問題を更に厄介なものにしている。

 なぜそんな風にしか出来ないのか、もっとよい距離感を保つことが出来ないのか、若いからなのか、それとも持って生まれた気質なのか、それはよくわからないけれど、僕は、もう少し年を取れば落ち着くものなんだと信じてるけど、でも同時に、年を取りさえすれば自然と落ち着くから適当でいっか、っていう受動的な考えでもいけないと思う。そんな風に適当にしていることで、人を傷つけるということがあるし。

--

 ある日、母と話していると、父と結婚したばかりの頃の話をしてくれたことがある。母は、温室育ちでワガママな父に毎日ブチ切れ、結婚後半年の間は毎日離婚したいと思っていたらしい。父の困る所を指摘するんだけど一向に改善してくれる様子もない。そんなブチ切れの日々を送っていた頃、一度マジ切れしすぎてなんと父を泣かしてしまったらしい。そしてさすがにそこで反省して、自分が変わればいっかと思うようになったという。

 なんで僕が自然と恋愛しているつもりなのに、気付いたら死ぬまで殴りあうルートに入っているのか、この話を聞いて納得が行った。これは確実に血だ。血は争えない。心にバイオレンスを飼ってしまった血族だったのだ。なんだそりゃ、サイヤ人か何かかよ。自分より強そうなやつを見るとワクワクしてくる。アホか。穏やかになりたいです。