僕として僕は行く。

旧・躁転航路

校閲されてみたい

 過日読書会の題材となった「すべて真夜中の恋人たち」の主人公は、本の校閲を仕事にしている人で、僕は、恥ずかしながら校閲者というのがどういう仕事をするのかというのもこの本で知ったということになる。僕なんか、多分ブログを読んでいてもおわかりのとおり、本当に、概念的整合性とか、文のリズムとかはダダ無視、ただ自分のリズムで喋りたいことを喋るっていう感じなので、そういう意味ではカルチャーショックだった。だから、読書会参加者の方々が、「この一文はすごく違和感がある」とか、「悪文っぽい」だとか言ってたのを聞いて、あー俺ってそういう考え方がまるで欠落しているなーと思ったのだった。

 文章に限らず、つくりだしたもの一般に関して、人前に出すっていうことで、吟味して吟味して、お金を出してもらうに値するぐらい悩みぬいて、でもやっぱり完璧などは存在しなくて、それでもあるらしい完璧というイデアに向かって、ひたすら洗練していくっていうそのプロセス、すごく素敵で、僕も体験してみたいと思った。自分が一応の完璧だと思ったところまで洗練して、そして自分の手を離れて、同じように究極まで洗練して返してくれるという一連のプロセス。そこで、自分が自分に対してどういった点で甘いのかとか、そういうのが見えてきそうで、すごく興味深い。

 あと、このブログも校閲者がいてくれたほうが良い。毎更新後1時間ぐらい、読みなおしては書き直してる部分いっぱいある。大筋はいじらないけど、表現がおかしかったり、文として何いってんだみたいなところが多かったりする。校閲者、募集中です。