僕として僕は行く。

旧・躁転航路

ご飯を食べられなかった頃の話

2013年11月24日追記。
摂食障害・拒食症関連の検索ワードでこのエントリにたどりつかれる方が多いので少し追記しておきますと、摂食障害や拒食症のようなものは、病院にかからないとおそらく良くはなりません。私は現在、食事に関しては特に問題はありませんが、それは精神科に継続的にかかっていることとも無縁ではないと思います。個人の力だけではおそらく治っていません。「摂食障害+(お住まいの都道府県名)」などで検索すると、すぐに適当な病院が見つかります。まずは相談だけでもしてみてください。

 

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 生活リズムがEURO2012に合っているため、どうも明け方まで寝付けない。ところが今日は予選リーグが終わり、決勝トーナメントの前の中間日なので試合がなく、手持ち無沙汰に未消化の本を読んでいた。ところが、だ。本の内容とは全く関係の無いはずの記憶が突然僕を支配して本の内容が全く入らなくなってしまった。その記憶を呼び起こすリマインダーは、お腹が空いたことと、それにも関わらず何も食べるものがない(実家なのに)という現状が結びついたことだったように思う。食べたいのに食べられない。それがふと、おそらく知らず知らずの内に蓋をしていたのだろう記憶を呼び覚まして、その時の心境が蘇ってきてどうにもならなくなった。

 だいたい1年ぐらい前の話なんだろうか、本当にご飯を食べられない時期がだいたい何ヶ月か続いた。具体的にどれぐらい続いたかは思い出せないけれど、1ヶ月~3ヶ月ぐらいだったように思う。いまだいたい去年の自分というものを大まかに時系列で整理してみると、確かにそれぐらいの期間でしかなく、なんだそんなものだったのか、と今になって言えるけれど、あの頃は本当に辛かった。食べ物を見ると吐き気がする。食べようと思えば食べれるんだけど、どうしても食べたくない。
 「食べられない」は、文字通り食べることが出来ないということだけではなく、どうしても食べたくないというのもあった。それがなぜなのかは今は言いたくないし、またはっきりとしたことも言えないというのもあるのだけれど、とにかく、複合的な要因にせよ「食べられない」状態が続いていた。だから、母親が晩御飯を作ったよと呼びに来る夕飯以外は一切食事を摂らなかった。夕飯時に食卓に並んだご飯を、辛い辛いと思いながら食べていた。食べないといけないのだと信じこもうとするがどうしても食べたくない。だから、夕飯時には自室で寝たフリして過ごすことも時々あった。さらに、場合によっては「食べたい」という気持ちが先行してもどうしても具体的な食べ物をイメージすると気持ち悪くなるということもあった。ちなみに、水分だけは摂らないと脳に障害が残る可能性があるということで、それだけは嫌だったから最低限の水だけは飲むようにしていた。それも本当に喉が渇いた時しか飲みたくなかった。朝から大学に行って、500mlの水のペットボトルを半分も消費しないで帰ってくるという具合だった。

 食べてはいけないという気持ちに反してお腹は空いてくる。しかし、次第にそれすらコントロールできるようになっていった。お腹空いたな、と感じたら、具体的な食べ物をイメージする。するとすぐに、気持ち悪くなってお腹いっぱいの気分になる、胸焼けのようなものすら起こることもあった。実際、テレビ等で食事の映像を見ても気持ち悪くなってたし、食べ物の”匂い”は本当に辛かった。”匂い”には、生物のおぞましい側面の全てが集約されているかのような恐ろしさがあったのだ。

 そして、食欲をある程度コントロールできる段階に至ると、もはや食事に関して特に辛いとは思わなくなってくる。普通にお腹がすかないのでご飯を食べない、それだけのシンプルな話なので、別にストレスではなくなったのだ。体も何とかそれに適合した。1日3食というのは健康に生活する上での理想的な食事回数なのだろうが、1日1食もあれば死なないし普通に頭も回るという体になった。また、僕に食事を作ってくれる母親も何かしら思うところがあったのだろう、量を少なくしたり、肉を減らして野菜メインにしてくれたりと、動物的な「捕食」というイメージの少ない食事を作ってくれるようになったりもして、食べることに対する抵抗感を少しずつ和らげていってくれた。食べれるなら食べたらいいという風に、食事に対して向き合えるようになった。それはそのまま、生きたいと思える時は生きようという、錯綜した前向きさへとつながっていった。

 最終的にどうやって普通に食事できる風に戻ったかはあまり覚えていない。劇的な意識改革とか、それを迫るような出来事が何かしらあったわけでもない。ただ自然と、食べてはいけないだとか、食べ物が気持ち悪いというイメージはフェードアウトしていったように思う。 もしかすると、食べたくないという精神の働きが、食べなくてもすむという肉体の次元に落とし込めたということに個人的に満足が行ったのかもしれない。ある意味、このハンガーストライキに手土産が出来た、そういう感触だったのだろうか。今思えば、それぐらいしか、食事ペースが戻る切欠は特には見つからない気もするが。
 もしかすると、まだ「普通の」食事ペースには戻っていないのかもしれない。1日1食~2食ぐらいしか摂らない日々がほとんどだし、頬はこけているがそれでも別にしんどくはない。先日、久々に、空腹にも関わらず、焼かれた肉を見て全く箸が進まないということもあったので、まだ完全に万事OKという状態ではないのかもしれないが特にストレスだとは感じていないので問題無い。大病もしていないし、健康状態も悪くない。 

 そんな風に、離脱したのかしてないのかわからないけれど、とにかく最悪の状況は脱したといえるあのハンガーストライキ。その最悪の状態が突如フラッシュバックして何も頭に入ってこないあの状態になってしまったのかもしれない。またあの状態になって、死ぬほど辛いあの日々を俺は送らなければならないのかと思うと、急に何も頭に入ってこなくなったし、むしろその状態に陥ったほうが安定的なのではないか、辛いという状態で安定できるのではないかとすら思ってしまった。
 幸い、冷蔵庫を開ければちょっとした食事もあったのでそれを口にできたことと、全く関係のないことを友人と電話で話せたこともあって冷静になったのか、また読みかけの本を再び開くことが出来るようになった。あれは、あの最悪の状態が、自分にとってそんなトラウマになっていたというのに対する驚きもあっただろうし、こんな風にして文章にしてみるまではまるで自分の記憶から抹消されていた出来事だった。だからこうして、人に見られる空間で整理することにより、自己を客体化しようとしている、というわけだ。

 ただ一つ不思議なのが、ありうる反応、というか自然な反動としては、食べれる歓び!みたいなのに目覚めてバカ食いするみたいな方向に向かいがちなのだとは思うが、今のところ一切それは無いことだ。というか、別に食べられることが幸せだとは今も思えてはいないのだと思うし、究極的にはやっぱり食べたくはないのだとも思う。ただ食べないと、その「最悪の状態」に巻き戻るかもしれないし、それだけは怖いので、最低限と、時々それプラスアルファ分ぐらいは食べるようにしている、というだけの話なのかもしれない。今ぐらいだと、食べることの辛さも、食べないことの辛さも感じることなく、好きなものを食べれるので、一番バランスがいいと個人的には思っているし、みすぼらしいぐらいガリガリだけど、それはある意味しゃーないとも思える。自分にとってこのバランスを欠くことは、みすぼらしいと思われることの数倍は辛いからだ。自分にとって食事は何なのか未だによくわからないけれど、そのバランスが崩れかけると急激な恐怖に駆られるということがわかっただけでも、今回の体験は有意義だったのかもしれない。